20才の追憶 PART2
1月27日の夜は結局、何が何だか良く判らないうちに終わってしまった。セットリストも良く思い出せない。目の前のポールシムノンの勇姿にただ見とれていたのか、俺は... いかん!あと1回しか観れないというのに。(実は前売りで買ったのは、あと2月1日の分だけ)
しかしポールはカッコ良かったな。こけた頬、スラーッと長い足、筋肉質だけどスリムな身体、もうちょっとマッチョなイメージもあったんだけど、実際は思ったよりずっと華奢な人だった。翌日、よしっ明日また観に行こうと思い立って、当日券を確認し、29日の午後から並んでようやくゲットしたぞぉ。席は2階の一番後ろの方で、27日とはえらい違いだったけど座ってじっくり観る事が出来た。クラッシュのセットリストは毎日変わるのが常だから、その分楽しみも増える。この日は「CAREER OPPORTUNITIES」や「GARAGELAND」等を聴く事が出来た(と、思う、何しろ22年も前なもので...)。発表間近の『COMBAT ROCK』(この時点では『RAT PATROL』)から「KNOW YOUR RIGHTS」と「SHOULD I STAY OR SHOULD I GO」もやってたな。ミックがストラト弾いて歌ってたのを覚えてるよ。ライヴ中盤でステージ中央にメンバーが集まって、次にやる曲が決まってなかったのか長い話し合いが始まって、何かあーでもないこーでもないとやり合っていた。メンバー間の確執やらトッパーのドラッグ中毒説等、この頃色々と騒がしいクラッシュ周辺だったから、そのうち殴り合いでも始まるんじゃないかとヒヤヒヤしてると、ジョーの「OK!」を合図にメンバーが散って「POLICE AND THIEVES」(たぶん...)が始まった。この話し合ってるシーンはやけに印象に残ってる。あー、結構成り行きで曲決めたりしてんだなぁーってね。席は悪かったけど行った甲斐はあったよ。
そして2月1日、東京最終日、この日のライヴは後日NHKの「ヤングミュージックショウ」でオンエアされたしブートビデオやDVDが出回ってるから観た人は多いんじゃないかな。客席でノリノリの俺の姿もチラリ写ってたりするんだけど、それは置いといて、放映された曲目には大不満だな。もっと良いシーンは沢山あった筈だし、「TRAIN IN VAIN」や「MAG〜7」は是非収録して欲しかった。この日は10列目位だったろうか、ステージ全体から開放的なエネルギーが放出され、それが客席に拡がって行く、素晴らしいライヴだった。音もテレビとは比べものにならない位の音圧で、しかもクリアだった。決して演奏の上手いバンドではないけど、自らが発展させてきた音楽を不器用ながらもイマジネーション豊かに表現しようとする様は、感動的でもあった。残念ながらジョーの体調は戻らず、声は出ないし歌詞は間違えるわ(これはジョーの芸風でもあるけど)で、あの噛みつくようなボーカルを聴く事は出来なかったけれど、それでも圧倒的な存在感で凄いオーラを発していた。俺のアイドルは勿論ミックだけどついジョーに視線が行ってしまう。へろへろボーカルなのにね、ジョーストラマー凄い男だよ......
当たり前の事だけど、日本公演で観る事の出来たクラッシュは、1977年のクラッシュではなかった。例えば映画『RUDE BOY』等での破天荒なパワーとエネルギー、狂おしい程のスピードで突っ走るロンドンパンクの雄。それは身震いする程のカッコ良さだったけれど、パンクは死んでニュー・ウェイヴ全盛の80年代シーンの中で、彼らはパンクのアティチュードを貫きながら、成長し、変化を続けて来た。1982年のクラッシュはアメリカで成功を収めた
立派なロックバンドであり、しかしながら、パンクの最後の生き残りとして、今後いかに戦って行くのか、葛藤しながらも前進あるのみと云う、そんな姿を我々に観せてくれた。正直言って27日には、違和感を感じたのも事実だ。5年に渡る想いが頭の中で、何かとんでもないコンサート像を勝手に作り上げていたらしい。「こんなまっとうなコンサートが、俺が待ち望んだクラッシュライヴなのか!?」ってね。けれど2回目に観た時に本質は変わっちゃいないと確信し、3回目の今日、モヤモヤが吹っ切れて思う存分楽しむ事が出来た。一生忘れないだろう。
「また日本に戻って来るよ...」ジョーはそう言い残してステージを降りたけど、俺はもうクラッシュは来ないだろうと思った、何故だか判らないけどそんな気がしたんだ。
俺にとってクラッシュとはあの4人でなければならない。この半年後にはトッパーが去り、テリーチャイムスを代役にしてTHE WHOのフェアウェルツアーに同行、とうとうスタジアムにまで昇りつめた。それをピークにバンドはゆっくりと終焉へと向かって行く。翌年ミックが去って行き、俺のクラッシュは死んだ... あれから20年以上の月日が流れ、俺はまだこうしてバンドをやっている。クラッシュは俺の人生を変えた数々のグループの中で最も大きな存在であった。しかし彼らの散り際はカッコ悪くまた寂しいものでもあった。だからまたそこから学ぶ事が出来たんだ、反面教師としてね。
ウンザリする時だってあるさ、でも一時の気の迷いで、大切な宝モノを捨てたりしちゃいけない。それは無言の最後のメッセージとして俺の心に深く刻まれている。あれから22年....時代は変わり、今、この写真集を見て俺は改めて確認したよ。この22年間、自分が続けて来た事は間違いじゃなかった、そして俺が愛したこのバンドはやはり世界一カッコ良いバンドだったという事を。あの日の熱狂は今も続いているんだ、俺の中で、そしてこれからも......!
20才の追憶 PART 1
これは1982年、最初にして最後のクラッシュ来日公演を収めた写真集である。カメラマンの菊地昇さんには実はストラマーズもお世話になった。去年のジョーの一周忌GIGの時、ステージ後ろに飾ったジョーの写真。覚えてる人も居るだろうけど、あれはあの日の為に菊地さんに用意して頂いたものだ。この場を借りて改めてお礼を言わせて下さい。
この本を見ているうち当時の思い出が強烈に蘇って来てしまった。それを書きたいと思う。1月24日の渋谷公会堂から2月2日の大阪フェスティバルホールまで、計9回の公演を行なったクラッシュ。俺がこの来日をどれ程待っていたかはくどくど説明しなくても判ってもらえるだろう。1982年と言えば俺はまだ20才だった.... トリオのバンドでG&Vo.をやっていた。バンド名はThe Jamの曲名から採ってTHE DIFFERENT'S(ディファレンツ)と云った。クラッシュやジャム、SLFやポリスなんかを目指して、ビートの利いたR&Rとレゲエをプレイしていたんだ。中でもやはりクラッシュはフェイバリットバンドというだけじゃなく、憧れであり、目標であり、音楽的な方向性に於ける最も大きな道標でもあった。アルバムを発表する度に変化を続ける彼らの姿にいつもワクワクさせられてきた俺は、それを真似て、自分のオリジナル曲に反映させながら新しいコードを覚え、作曲というものを学んでいった。彼らのアルバムは俺にとっての何よりの教則本だったのだ。
何度となく浮かんでは消えて行ったクラッシュ来日の話。イスのある会場ではプレイしないと彼らは言い続けていたし、スタンディングのホールなんて今じゃ普通だけど、当時日本にはそんな所は無かったからね、何しろ席から立ち上がる事さえ禁止されていたのだから。ま、それはOKと云う事でウドー音楽事務所との間で話がまとまって、ようやく実現した来日だったらしい。
俺は3回観る事ができた。1月27日、29日、2月1日、場所は中野サンプラザだった。1月24日の初日は見逃してしまった。その日俺達ディファレンツは宇都宮でライヴがあったからだ。おースゲェ、もうツアーやってたのか!?と思うかもしれないけど、そんな立派なモンじゃなくてベースの奴が宇都宮の出身で、正月に里帰りした時に地元のライヴハウスに頼んで話をつけて来たという訳だ。それでも俺達にとっては初の地方ライヴ、気合い入ったね。しかも遠く離れた渋谷公会堂じゃ今頃
あの4人が....! よぉしヤルぜ!! あー懐かしい......。
翌日の昼間に別の店でもう1本やって夜遅くに帰宅した。朝日新聞の夕刊に24日のライヴ評が載っていて、中村とうよう氏が書いていた。それによるとダブを取り入れたサウンドはウネリを持って会場を包み込み、なんとかかんとか....また、ジョーの体調が良くないらしく、ステージ上で吐いていたとある。うーん、期待と不安が入り混じる。
俺が楽しみにしていたのは勿論、狂熱のR&Rナンバー、だけど『SANDINISTA!』で聴かせてくれたファンクやレゲエ・ダブが一体どんな風にプレイされるのか、凄く興味があった。今のクラッシュの姿という意味では、「THE MAGNIFICENT SEVEN」と「CHARLIE DON'T SURF」あたりが強く印象に残っているし、素晴らしかった。
さて、待ちに待った1月27日だ。ディファレンツのメンバーや友人7〜8人でいよいよクラッシュに会う時が来たのだ。15で観たキッス以来何度となくコンサートには通った俺だけど、開演前にこんなにドキドキしたのは後にも先にもこれっきりだ。しかも席は最前列!(真ん中じゃなかったけど)薄暗いステージに目を凝らすと正面にはベースアンプが.... という事は!? 間もなく会場にサイレンが鳴り響き、赤い照明に照らされる中、メンバーが出てきた!! 俺は興奮のあまり頭が真白になってしまって、訳の判らない叫びを上げながらまるで夢でも見ているような気分で立ちすくんでいた。「LONDON CALLING」のEマイナーコードが打ち鳴らされ、はっと我に返ると目の前にはポールシムノンがベースを低く構えた
あのポーズでクールにプレイしていた。「うわっ本物だぁ!」 この感激を判ってもらえるだろうか? 中央にはジョーがテレキャスを抱え、訴えかけるように歌っている、目を閉じながら。本当にこれは夢なんじゃないだろうか? また頭がボーッとしてきた所で、向こうからマイ・ギターヒーロー、ミック・ジョーンズがさっそうと走って来て目の前でジャンプを決める!「キャーッ ミックぅ! 俺もサスペンダーして来たぞぉー.....」あー行ってしまった。
気を失うような興奮の中、狂喜の夜は続いて行った......。
―to be continued―