
THE WHOにノックアウトされたのは映画「ウッドストック」を初めて観た時だ。中3だったかな、それはたった2曲、だが衝撃力は充分過ぎる程だった。アルバム『トミー』から「俺達はしないよ」、エディ・コクランの「サマータイム・ブルース」…白いツナギを着たピート・タウンゼントは腕を風車のように振り回し、ジャンプしながらギターを掻き鳴らしていた。負けじとフリンジ・ジャケットの前をはだけたロジャー・ ダルトリーもマイクのコードを投げ縄のように振り回し器用に投げてはキャッチしシャウトする、2人のテンションに反応しながら前のめりになって顔を突き出しドラムを叩きまくるキース・ムーンはまるで雷神の様だ、ジョン・エントウィッスルは涼しい顔で突っ立ったまま、しかし物凄い音と音数でベースを唸らせる。圧倒された…!『狂熱のステージ』それはフーの『LIVE AT LEEDS』の日本盤タイトルだが正しくそのステージは渦を巻きながらどこまでも高く昇って行く様なパフォーマンスだった、すげぇバンドだなぁメンバー4人とも凄いじゃん、率直に俺は思ったね。フーとの出会い、それはハードロックのオリジネイターとしてのTHE WHO、勿論最初に買ったのは『狂熱のステージ』である。暫くして、デビュー当時のフーがビートグループでモッズのヒーロー的存在であり、同時にパンクの元祖でもあった事を知った。そしてストーンズの「サティスファクション」と並ぶ上の世代への強烈なカウンター・ソング「マイ・ジェネレーション」の存在も知ったのだった。聴いてみたかった、でもいかんせん情報は乏しく、おまけにビートルズやストーンズに較べたら話にならない位評価も低かったし人気も無かったフーだから雑誌で特集されたりラジオで掛かる事なんて殆ど無かったんだ。60年代のアルバムも俺の地元じゃ見掛けなかった様に思う、ベスト盤は沢山あったからとりあえず買って、その後輸入盤屋に行くようになって初めて「マイジェネレーション」の入った1stを買う事が出来たんだ、それはビッグ・ベンをバックにしたジャケットでいかにもロンドンのバンドって感じだった。ちょうどパンク・ムーヴメントの波が押し寄せ、ピストルズ、ジャムやクラッシュ、ストラングラーズ等にのめり込んでいて、ロンドンへの憧れが沸々と湧き上がってる頃だったからインパクトは強かったな。今では常識だがそれはアメリカ編集盤であってオリジナルではないのだけれど、俺はフーの1stと言えばコレと当たり前の様に思っていたし、オリジナルのイギリス盤はプロデューサーとの関係悪化とレーベル移籍が元でずっと廃盤状態だなんて随分後で知ったんだよ、唯一手に入る1stと言えば1部曲を差し替えたこの盤だけだったし、これをずーっと普通に聴いていたよ。「マイ・ジェネレーション」は期待通りの最高のビートナンバーだった、驚くべきはリード・ギターのようなベースと全てがオカズで成立している様なドラムの凄い迫力だ、同時代のどのバンドと較べても音圧があり、テクニックもある。コードを叩きつけるギターと共に音の塊がダンゴ状態で押し寄せてくるのだ、ピストルズの「NEVER MIND THE BOLLOCKS」のルーツはこれだったのか!
1980年になってやっと再発されたオリジナルを見た時はショックを受けたものだ、こんなに洒落たジャケットだったのかって… でも今だにシックリ来ないんだ、ロンドンへの憧れをストレートに感じさせてくれたダサいアメリカ編集盤の方にどうも愛着を感じてしまう。刻まれた音を反映しているのはアメリカ盤のジャケットって気がするんだよ、不思議だけど。オープニングの「OUT IN THE STREET」のトレモロを効かせた「ジャララーン…」というサウンドのイメージかな(これがイイんだな)、くすんだ空の色とビッグ・ベン=ロンドン、それが俺のTHE WHOだ。「THE KIDS ARE ALRIGHT」のカッコ良さ!そしてポップチューンとしての完成度の高さとズバ抜けた演奏力、オリジナリティ、ハマればハマる程フーの魅力の虜となってしまう俺であった。
実は明日1月29日から1週間ロンドンへ行ってくる、15年振り3度目の渡英だがこれまではレコーディングが主目的で色々見て廻るには時間が限られていた。今回はじっくりと見て、空気を吸って、街を歩きたいと思っている。ロックに憧れバンドを組み、良い曲を書こうと頑張ってきて(!)、今もステージに立っている俺だけれど、いつの間にかかつてのロック少年も40を過ぎてしまったよ、だけど同時にロックも成熟しながら転がり続けているんだ。若者のフラストレーションを爆発させ「歳をとる前に死にたい!」と歌われた「マイ・ジェネレーション」を今も俺は胸をときめかせて聴く事が出来る、それこそが大事なんだ。自分にとってロックはもはやライフワークだから一生賭けて表現し続けて行くものだと思う今日この頃、歳を重ねる度に益々面白くなって来ている。自分の原点であるロックの聖地を今こそこの目で見たいと居てもたってもいられなくなって、決めた。思い出探しじゃない、未来を探しに行ってくるよ。次回のR&Rレコードからはそのレポートを交えながら書いて行くつもりなのでお楽しみに!さて、この目にロンドンはどう映るのだろうか…

80年代を代表するバンド、プリテンダーズのデビューアルバム。アメリカのオハイオ州アクロン出身のクリッシー・ハインドがイギリスに渡ったのは1974年、NME誌のライターを経て1978年に結成したバンドである。
1979年にレコードデビューしたが、前回書いたラジオ番組全英トップ20でシングル「愛しのキッズ」を聴いていっぺんにファンになってしまった。ビートルズの「All My Loving」のような甘く切ないメロディと60'Sフレイヴァー漂うギターフレーズはまさに俺好みだったんだ。モータウンっぽいファンキーな次のシングル「恋のブラス・イン・ポケット」を全英NO.1にした後アルバムが発売になったんだけど、思いの外ハードなサウンドにびっくりしてしまった。1曲目の「PRECIOUS」からシングルのイメージを覆すシャープで攻撃的な音、クリッシーのヴォーカルの表現力は全く凄い、早口でまくし立てて煽ったかと思うと、サッとクールにかわしたりと変幻自在に表情を変えてこちらに迫ってくる。ミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイ等にひけをとらないスーパーヴォーカリストだと思う。曲によっては女性ならではの繊細な優しさも感じさせるが、それより何よりテレキャスターを下げて歌うその姿はひたすらカッコ良かった、レザー・パンツにブーツでビシッとキメてね。当時彼女に憧れてバンドを組んだ女友達が沢山いたものだ。
彼女をサポートする3人の男達も良かったなぁ、革ジャンにリーゼント〜ロッカーズスタイルのベーシスト、ピート・ファーンドンにキレがあって堅実なドラマー、マーティン・チェンバース、そして何と言ってもウェスタンシャツを着たブロンドのギタリスト、ジェイムズ・ハニーマン・スコットである。彼は俺のギターヒーローの1人だ、センスとテクニックを兼ね備えた素晴らしいミュージシャン、随分勉強させて貰ったよ。レス・ポールやフライングV等のギブソン系ギターを使いながら曲に合った音色を選ぶのが上手くて、「愛しのキッズ」に代表される様にアンプ選び、ピックアップのチョイスとか今でもレコーディングの時に参考にさせて貰ってる。おそらく彼は60年代のビートグループから70年代ハードロックまで精通しているのだろう、理想的なブリティッシュ・ロッカーだと思うな。「TATTOOED LOVE BOYS」の途中のGソロ(マーシャル!って音)なんてホントにスリリングでショックを受けたものだ。ラストの「MYSTERY ACHIEVEMENT」等粒ぞろいのアルバムは全英NO.1に輝き、全米でも6位と大ヒットとなった。
翌1981年には俺の大好きな「TALK OF THE TOWN」が入ったセカンドアルバムをリリースしたプリテンダーズはその後も順調に活動を続け、1982年2月に初来日したが1月のクラッシュ狂騒劇でお金を使い果たしてしまった俺は行く事が出来なかった、(スージー&ザ・バンシーズも…)これが後になって死ぬ程後悔することになるとは…何故って6月にはジェイムズ・ハニーマン・スコットがドラッグでこの世を去ってしまったのだ、25歳という若さで。彼のプレイを生で聴く事はこれでとうとう叶わぬ夢となってしまった、本当に残念だ。更にプリテンダーズを悲劇が襲い、今度はベーシストのピートが脱退、しかもジェイムズの死から1年も経たないうちに彼までもが亡くなってしまったのだ、これまた残念な事に、クラッシュを解雇されたトッパー・ヒードンとの新グループ結成を控えての事であった。
プリテンダーズは暫く活動を停止した後、見事復活を果たしたが、ジェイムズのギターは当然ながらもう聴かれない、ジェイムズ・ハニーマン・スコット、彼こそ80年代のギターヒーローになる筈の男だった。