
しかし凄いジャケである。タイトル含めてギャグか本気か判らないけどそれもこのグループならではの個性だろう。このアルバムを買ったのは中三の時だ、レコードをレジに持って行くのにどれだけ躊躇した事か(笑)親にも見せられたもんじゃないぜ。英米では発禁となり違うジャケで出た筈だ、当然か。日本ではたぶんヘアーがないから大丈夫という事になったのだろうけど、それもどうかと思うね…児童ポルノじゃないすか!
これはスコーピオンズにとって4枚目のアルバム。「PICTURED LIFE」、「CATCH YOUR TRAIN」、と続く頭2曲でノックアウトされてしまった。確か日本では前作の『IN TRANCE』がデビュー作だったと思うがそのアルバムの1曲目「DARK LADY」を聴いて、ドイツにもこんなカッコ良いバンドが居たのかとショックを受けたものだ。そして前々作でセカンドの『FLY TO THE RAINBOW』が遡って発売され、このアルバムに至ったと思うのだが。
日本人好みのメロディと演歌的な「泣き」を得意とするグループだけに日本では必ず人気が出るだろうと言われたが、そのとおりになった。周りにもファンは多かったな。クラウス・マイネのコブシの効いたヴォーカルなんてまさに演歌ロックと言ってもいい位のワビサビを感じるよ。メロディを大切にした楽曲とドラマチックな曲展開、70年代ハード・ロックの手本となるグループだ。
このアルバムは初期の代表作と言って良いだろう。まだ十代だったマイケル・シェンカーに変わって2枚目から参加したウルリッヒ・ロート(今はウリ・ジョン・ロートと呼ばれる)のジミヘンばりのギターも絶好調でメロディアスなフレーズを凄い速さで弾きまくっている。このウルリッヒ・ロートという人はまさに本物のジミヘン信者で、ジミの彼女だか奥さんだった女性と、なんと結婚してしまったらしい。ツインでハモらせたフレーズやトレモロ・アームを屈指したワイルドなプレイ、その甘いトーンと太い音色はスコーピオンズのサウンドを特徴付ける素晴らしいものでとにかく聴いていて気持ちが良かった。しかし、俺が本当にカッコ良いなと思ったのは、実はサイド・ギターの方だ。ルドルフ・シェンカーのフライングVとマーシャル・アンプから繰り出されるシャープなカッティングとタイトなリズムが実はバンド・サウンドの肝だからだ。『IN TRANCE』のタイトル・チューンや同作収録の「TOP OF THE BILL」を聴けば判るだろう。弟のマイケルは後のち「神」と呼ばれるまでになったが兄ルドルフも凄いギタリストなのだ。ルドルフが構築したコード・リフの上をウリのリードが自由に泳ぎ回る、そのコンビネーションはツイン・ギター・バンドの一つの典型的なパターンだが、それぞれの役割分担が完璧なカッコ良さを持っているバンドは中々居るものではない。すぐ思い浮かぶのはミック・テイラーが居た頃のストーンズ。同じ意味で完璧だった。
また付け加えれば、この時代フライングVを持ってる人は皆無条件に好きだった俺である。ポール・スタンレー、K.K・ダウニング、マイケル&ルドルフ・シェンカー、アンディ・パウエル、クリス・スペディング…フライングVはロックを象徴する憧れのギター。
スコーピオンズは更に充実した次作『TAKEN BY FORCE』発表後1978年に日本にやって来た。日本のファンの為に「荒城の月」までプレイし、俺達は熱狂的に迎え入れた。そのコンサート(今はあまり言わないね…)は素晴らしいもので、今も良く覚えている。その模様を記録したライヴ・アルバム『TOKYO TAPES』と共に俺には忘れ難いグループだ。惜しい事にウリ・ジョン・ロートは日本公演を含むツアー終了後にグループを去ってしまった。残念だったが後任にはUFOを脱退したマイケルが加入すると噂され、俺は大いに喜んだね、フライングVが2人!しかも再来日が1年も経たないうちに決まりマイケルが来ると言われていた。勿論チケット買いました!しかしそうはならなかったんだなぁ。

今日、まさかAC/DCがこんなに巨大なバンドになるとは思ってもみなかった。自慢じゃないけど俺はまだ彼らのアルバムが日本で発売されないうちから聴いていた数少ないファンの一人なのだ。
当時は知りたい事が沢山あったし、ロック・シーンの動きに遅れをとってなるものかと毎月音楽雑誌を読み漁っていたものだった。『ミュージック・ライフ』、『rockin'on』、『音楽専科』、『ロッキン F』に『PLAYER』、立ち読みも含めるとそんなところだ。
ある時『ミュージック・ライフ』か何かに「来たる1978年のロック・シーンを占う」みたいな特集が組まれ、パンク・ロックが詳しく取り上げられたり、また『ハード・ロックの未来は…?』みたいな記事もあった。パンクには並々ならぬ興味もあったけれど、自分がこれまで熱心に聴いて来たのに最近は元気のないハード・ロックに対して寂しい思いもあった俺としては、新しい刺激的なグループの登場を心から待ち望んでいたのだ。その意味ではパンクだろうがハード・ロックだろうが呼び名はどうでも良かったのだ。
その記事の中に、日本ではまだ未発売ながらオーストラリアに超弩級のハード・ロック・バンド有り、その名はAC/DCと紹介されていた。「リード・ギタリストは半ズボンにランドセルというスクール・ボーイの出で立ちで…」、「ハイトーンのヴォーカル云々」と書いてあったな、確か。更に「ツェッペリン、パープルの後を受け継ぐ正統的なバンド。ハード・ロック・ファンなら要チェックだ!」みたいな事を書かれたらそりゃ気になるというもの。俺は行ったね、輸入盤屋へ。Aのコーナーを捜したらあったあった!へぇ、ほんとにスクールボーイの恰好なんだ…うーむ。
正直そのジャケを見た時は「なんかコミック・バンドみたいだなぁ」と思った、裏ジャケは「らしい」カッコ良さを感じたけれど。
期待しつつ針を落とすといかにもマーシャル・アンプに直結しました的なサウンドのギター・リフが聴こえてくる、中々カッコ良さそうだ。しかし次に飛び出して来たシンガーの声にズッコケた…「変な声…」これがボン・スコットの第一印象である。いくらギターがカッコ良くてもヴォーカルが好みじゃないと駄目なんだよ、俺。
曲はストレートなロック・ブギが中心で重たい8ビート、大陸的なノリは広大なオーストラリアの土地柄か。もう少しスピード感が欲しかったな、高校生の俺としては。ブルース風の「THE JACK」なんてタルくて嫌いだったね。バグパイプの入った「IT'S A LONG WAY TO THE TOP」やチャックベリー的なオブリの入ったタイトル曲等は非常にカッコ良くてまさにハイ・ヴォルテージ・ロックンロールといったところだ。オーソドックスなギター・プレイもグッド、上手いし。しかしシンガーがなぁ…
それでもオーソドックス故に飽きの来ない楽曲ばかりなのでわりと繰り返し聴いたり、「これがオーストラリアのAC/DCだぜ」と友人に自慢げに聴かせたりと、ターン・テーブルに乗せる回数は多かったと思う。
今から考えればあんな個性的でアクの強いシンガーはボンを於いて他になかった、実際苦手だと言いながらアノ粘っこい歌声が耳に付いて離れず、知らないうちに段々と好きになって来てしまったのだ。慣れただけかも知れないが。
AC/DCが日本デビューしたのはその暫く後の事だ、「ああ、出たのか…」くらいにしか気にも留めなかったのだが、そのアルバム『LET THERE BE ROCK』を聴いてぶっ飛んだ。「WHOLE LOTTA ROSY」、なんてカッコ良いんだ!それまで物足りなかったスピード感やサウンドの厚み等、あらゆる意味でスケール・アップされた彼らに俺は驚き圧倒されたのだった。やっぱり本物だった。ボンの相変わらずのスタイルでさえ、「これが無くちゃ!」と思えたものだ。
来日の噂が出始め、必ず行くぞ!そう決めた。ちょうどその時ジューダス・プリーストの来日公演があって、当然来てましたよ伊藤政則氏をロビーで捕まえて「ねぇセーソク、AC/DCは来ないの?」と図々しくも尋ねたのね俺、「近いうちに決まると思うよ」との返事。確か本当に決定して、その後どういう訳か中止になってしまったと記憶しているのだけれど。何故なんだろう?俺の記憶違いかな?
教えてよ、メタル・ゴッド…

初めて買ったギターはGRECO社製のストラトキャスターだった。15才の時だ。エレキギターに関する知識など何も無いに等しかったし、まともにギターを弾いた事すらなかった。ただロック・ギタリストを目指していた事は間違いなく、ならばやはりレス・ポールかストラトが欲しいと思った。当時からこの2本こそ、ロック・ギターの王道と認識されていたからだ。勿論そのサウンドの特性やらシングル・コイルとハム・バッカーとの違いなんて事はどうでもよかったのだけれど、随分悩んだ気がする。
その頃よくツルんでいたロック仲間の一人にギターの上手い奴がいて、俺は教わりながら一緒にバンドを始めるのだが、そいつが持っていたのがやはりストラトだった。その影響も大きかったと思う。それにストラトにはトレモロ・アームが付いているから、まともに弾けなくてもアームをアップダウンさせ「ギュウウーン!」とやればロック・ギタリストの気分くらいは味わえるだろうとも思ったのだ、単純なものである。そしてまた当時はRAINBOWと共にリッチー・ブラックモアが人気絶頂の頃で、日本では確実にLED ZEPPELINよりRAINBOW、ジミー・ペイジよりリッチー・ブラックモアという時代だったと思う。俺はストラトを選ぶ事に何の躊躇もなかった。結局ホワイト・ボディにローズ指板という、もろリッチー仕様のギターを買ったのだった。
さて、本題。未だギターを手に入れる少し前の事だったと思うが、ある日の夕方、何気なくテレビを点けるとギターを弾く男の姿、そこに繰り広げられている凄まじい光景に俺の眼は釘づけになってしまった。その男はギターを背中に回したり、歯で弾いたり、こねくりまわしたりしたあげくになんと、火を点けて燃やし、振り回し、床に叩きつけて破壊してしまったのだ。ジミ・ヘンドリックス…その名は知っていた、1970年にこの世を去ってしまった不世出の天才ギタリスト。「これがジミヘンかぁ…スゲェなぁ!」それは『モンタレー・ポップ・フェスティヴァル』だった、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」は俺世代のロック・ファンにとってはロックが観られる貴重な番組であった。その頃と言えばちょっとでもギターを弾ける奴は皆パープルの「SMOKE ON THE WATER」やクリーム「SUNSHINE OF YOUR LOVE」、ジミヘン「PURPLE HAZE」なんかをコピーしていたものだ。どれもキャッチーなイントロを持つ曲だったから早い話イントロだけ弾ければ満足みたいな感じであった。俺も最初は「SMOKE〜」のイントロばかり一日中飽きもせず弾いていたものだ、あの『LIVE IN JAPAN』ヴァージョンでね。
ジミの入門編としては最適なのがこの『SMASH HITS』、エクスペリエンス時代の代表曲が全て聴ける。ミック・ジョーンズも最初に買ったレコードとしてクリームの「DISRAELI GEARS」と共にあげていたねぇ。ブルースを出発点にして、ロック及びロック・ギターの可能性を追求しながら革新的なサウンドと楽曲をクリエイトしたジミ、その功績は計り知れないものだ。刺激的で浮遊感のある作品作りに対しても、意識は地上を飛び出し宇宙にまで拡がって行くようなイマジネィティヴなものだった。サイケデリックな時代背景を強烈に反映していたとも言える。マーシャル・アンプを積み上げた大音量のドライヴ・サウンドからワウを使ったリズミカルなサイド・ワーク、直接ファンでなくてもギタリストなら全ての者がジミの影響を受けていると言っても過言ではないだろう。
ジミから学んだ事で真っ先にあげたいのはEシャープ・ナインスというコードを覚えた事。「PURPLE HAZE」のメイン・リフに出て来るこのコードによって、コードには押さえ方ひとつで様々な響きがあるのだな、という事を知った。スリー・コードしか知らなかった俺にはその後の修練の大きなヒントになった。勉強になりマス。
また、ある日友人と新宿を歩いていた時の事。俺は「FOXY LADY」とゴールドの文字でプリントされた、まるで大阪のオバハンが着るみたいな黒いTシャツを着ていて、何しろロックTなんて簡単に手に入らない時代なものだから、偶然見つけたそのTシャツを得意で着ていたのだが、「ねぇ、キミ…」サラリーマン風の男に声をかけられた。「FOXY LADYってどういう意味か知ってる?」「…」キョトンとしてる高一の俺に向かって「誰とでも寝る女!」ニャッとしながらそう言って去って行った…勉強になりマス。
ギターの可能性を追求しあらゆる成果をあげられたが故に誰よりもその限界を知ってしまい幻滅していたジミ。晩年の頃はギターを弾く事はもはや楽しくなかったのかも知れない。天才とは痛ましいものだ。そうだな、凡人の俺にとってギターは一生掛けて習得するものだな、そう思えるのだが。