AKITOのロックンロール・レコード

[SIDE 104] PRESENT ARMS / UB40 (1981)

いちロックファン、リスナーとして定期的にやってくるマイブーム。

ビートルズやストーンズは言うまでもなく、かつて熱心に聴いた70年代ハードロックだったり、60'sビートだったり、はたまたプログレだったりと気分で様々に変わる訳だが、このところはもっぱら80'sである。


1980年代のミュージックシーン。


パンクエクスプロージョンからの流れを受けて突入した新しいディケイド、俺には全てが新鮮で刺激的だった。特に興味が湧いたものそれはレゲエでありダブだった。


その頃パンクと密接に結び着いた「REBEL MUSIC」としてレゲエはより一層身近な存在となっていたから。


勿論ボブ・マーリィやジミー・クリフは知っていたさ。元ウェイラーズのピーター・トッシュのアルバムはストーンズのレーベルから発売されたし、キースなんてこの時期レゲエ関係のTシャツばかり着ていたしね。

1974年頃だろうか、「新しいブラック・ミュージック」

としてレゲエはちょっとしたブームとなり注目されたものだ。

でも俺はスルーしていたな、当時は。

だってエリック・クラプトンの「I SHOT THE SHERIFF」なんて退屈で最悪だったもの。


俄然興味が湧いたのはクラッシュだったりジョニー・ロットンだったり、

言うまでもなくパンクの影響である。それしかない。


このUB40はこの時期夢中で聴いたレゲエ/ロックバンド。

有名なエピソードだがバンド名の由来は失業者手当申込み用紙の書籍番号から採られており、ファースト・アルバムのジャケットを飾ったのはその申込み用紙そのものだった。


ファーストも衝撃的なカッコ良さだったが、更に力強さを増したこのセカンド・アルバムも大好きだ。


スネアによるマーチングドラムの静かなフェイドインから一転、掛け声と共に一気にスタートする「PRESENT ARMS」のイントロで鳥肌が立った。勇ましいブラスのフレーズが最高だ。

この曲と続く「SARDONICUS」

のクールな対比、このアタマ2曲の流れが良いのだよ。


UB40はジャマイカからの移民が多く暮らす工業都市バーミンガムの出身で、メンバーは幼馴染みらしく、イギリスの白人とジャマイカン2世の黒人から成る人種混合バンド。

彼らの歌にはラスタファリズムもJAHの神も出て来ない。代わりにあるのは失業で苦しむ労働者階級ならではの視点だ。

イギリスの実情と当時のサッチャー政権に対する不平や不満、移民として受けて来た抑圧や人種差別問題、そういったものがテーマのようである。

それはまさにパンクバンドのそれと同様だと言えるだろう。

だからUB40の事は単なるレゲエバンドではなく「レゲエ・ミュージックをプレイするロックバンド」、そういう印象が当時にはあった。


そんなヘヴィなメッセージをテーマにしながらもUB40のサウンドは非常に洗練されたもので、ドリーミーな甘ささえ感じる。これが彼らの決定的な魅力でもあるのだろう。

流麗なメロディと柔らかい歌声。同時に内に情熱を秘めた青白い炎のようにクールなレゲエビート。これに夢中になった。

このUB40と一緒にこの時期「ブリティッシュ・レゲエ」と呼ばれたグループがある。

アスワド、スティール・パルス、マトゥンビ、といったグループだが、皆一様に緊張感のあるレゲエを演っていたな。


これらのグループの出す音は素晴らしい手本となった。つまり、日本人の俺もレゲエ・ナンバーを作ったりプレイ出来る事は可能なんだ、という意味において。


レゲエやダブだけでなく、'80年代のロックに受けた影響は大きく、それが今日の自分を作り上げたのかも知れない。そんな風に思う。

少し大げさだが自分のギタリストとしての個性だったりスタイルだったり、曲作りにおける作風に80'sの音楽は大きな影を落としている事は間違いない。


その辺りも含めて、これから暫くは80'sに的を絞って書いて行こうかな、と思っている。


では、また次回に続く、、、

という事で。
(2017.04.17)

[SIDE 103] BLUE&LONESOME / THE ROLLING STONES (2016)

渋さや円熟とは無縁な音。

全編に渡って粗削りでエネルギッシュなブルースナンバーが鳴り響くストーンズの新作。

平均年齢72歳のR&Rバンドが放つこの熱気にハートを揺さぶられた。


ニューアルバムの噂は1年以上前から上がっていた。ソロ・アルバム発売時に、ストーンズのレコーディングもやるからとか何とか、キース・リチャーズもインタビューで言ってたし。

ここに来て御大達の何と精力的な事だろう…!

なんて喜んでいたものだった。


そんな中で出て来た情報が新作はブルースのカヴァー集だというニュース。それを聞いた時、「なんだ、オリジナル曲は聴けないのかぁ…」と正直肩透かしを食らった気分がしたものだが、そんな想いなど何処へやら、だ。


このアルバムは全てのストーンズ・ファンを満足させるカッコ良さで占められている。

そもそもローリング・ストーンズというバンドはマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフ、ジミー・リードらのシカゴ・ブルースのカヴァーから始まったバンドなのだから。


デビューから53年が経過し、再びファースト・アルバムに返ったが如く嬉々としてブルースナンバーをプレイしているメンバー達。

そのサウンドからはミックやキース、ロニーにチャーリーの溌剌とした姿が透けて見えるようだ。


アルバム・オープナーの「JUST YOUR FOOL」が鳴り出した瞬間から思わず身体でリズムを取りたくなる抜群のノリ、これが素晴らしい。

更に録音は僅か3日間との事で、ほぼ一発録りだろう。ラフこの上ないまさにストーンズ流でこの感じがまたたまらない。


振り返ればストーンズはここ数年、2014年の「14 ON FIRE」ツアー、昨年はアルバム『STICKY FINGERS』の再現ライヴを含む「ZIP CORD」ツアーやら、今年話題になった「DESERT TRIP」と、なんだかんだと途切れる事なく演奏活動を続けていたのだった。

そんな「ライヴ・バンド」ストーンズの現在の充実振りが見事に反映された作品とも言える。


そしてミック・ジャガーだ。

今作品の主役はミック・ジャガーその人に他ならない。気合いが入っている。

この73歳のヴォーカリストの歌とハーモニカ、このカッコ良さは一体どうなっているんだろうか?!

テンションが上がって時にうわずったり声がひっくり返りそうになってもお構いナシな歌いっぷりだ。


こんな話もある。

ミックは13年間に渡り付き合っていた恋人、ローレン・スコットを「14 ON FIRE」ツアー中に亡くした。打ちひしがれたミック、暫くツアーは延期になった。

そのショックがミックの心をブルースへと向かわせた、と。


この歌からほとばしる感情の昂まりは亡きローレンに捧げるものなんだろうか。


よく言われるように、ミック・ジャガーはローリング・ストーンズの現役性に拘る人だ。流行りには人一倍敏感で新しいサウンドアプローチなどを積極的にバンドに持ち込んで来た。

その貪欲さはアーティストとして立派な姿勢だと感服するが、こんな歌を聞かされては、やはりこの人の核はブルースなんだな、と思わずにはいられない。

そう、ブルースを歌うミックこそが自然な姿である。


なんでも、レコーディングには13本ものブルースハープを用意して臨んだらしい。

もっともハープにはそれぞれキーがあるからある程度の数は必要と思うけれど。



またヴィンテージ・ギターやアンプをズラッと並べてプレイしたであろうキースとロニーの絡みもいつもながら楽しい。


ハイライトはリトル・ウォルター作の「I GOTTA GO」あたりか。ワイルド極まりないハープが暴れまわる。

ワンコードでバンドがグイグイ攻める「HATE TO SEE YOU GO」もイイ!


そしてこのブルース集にピッタリなゲスト、エリック・クラプトンのギターが2曲で華を添えている。

公式にエリックがストーンズのスタジオ作にゲスト参加するのは何とこれが初との事で、これは意外だった。

レッド・ツェッペリンのファーストでお馴染みの「I CAN'T QUIT YOU BABY」ではエリックの素晴らしいソロを堪能出来る。

それにしてもストーンズの偉大さは勿論として、同時に思い知らされたのがレッド・ツェッペリンの革新性である。ツェッペリンがいかにブルースをベースにして、それを規格外のパワーと爆発力でもってぶち壊し、新しいロックを創り上げたか。

オーソドックスなブルースナンバーのこの曲を聴きながら改めてそれを思ったね。


今作とは別にオリジナル曲による新作も既に半分ほどレコーディングが終了、なんて嬉しいニュースも聞こえてくるが、今はこのカッコ良いカヴァー・アルバムを存分に楽しもうと思う。
(2016.12.14)

[SIDE 102] LUST FOR LIFE / IGGY POP (1977)

イギー・ポップの最新作『POST POP DIPRESSION』、ズッシリと聴き応えのある力作でずっと聴いている。
と、前回の続きではないけれど、デヴィッド・ボウイとは切っても切れない存在と言っていいイギー・ポップ。
こんな言い方をするのはボウイのファンになった流れでイギーの事を知ったからで、ストゥージズの後、ソロで復活した第一弾『THE IDIOT』が出会いだった。デヴィッド・ボウイのプロデュース、丁度ボウイの「ベルリン時代」と重なる時期に出たアルバムだった。

『THE IDIOT』はダークで重たいムードに包まれた作品だった。「CHINA GIRL」のようなポップな曲もあったが、全体的には当時のボウイの傑作『STATION TO STATION』から『LOW』へと続く頃のヨーロッパ的な暗さを持ったサウンドが継承されていたものだ。

何と言っても俺はセックス・ピストルズがカヴァーした「NO FUN」やダムドの「I FEEL ALRIGHT」を聴くまではストゥージズなんて知らなかったから、
イギー・ポップのワイルドかつ破天荒なロックンローラーとしての姿は知る由もなかった訳で、これを聴いて、「うーむ…」と思った。そうか、ボウイ・タイプの知的なムードを持った「ソロ・アーティスト」なんだな、と。
それはイギーとボウイが狙った新たなイメージを打ち出す戦略だったみたいで、それは見事に功を奏したと言えるだろう。

元々シンガーとしてもソングライターとしても大きな才能を持ったアーティストだと思う。
類い稀なるパフォーマーでもある。
ただどうも周囲の期待につい応えようとしてしまうらしく、ファン・サーヴィス過多で才能を上手く活かし切れない性格だとの声もある。

またストゥージズ時代の強烈な経験故にソロ名義でも「バンド」に強い拘りを持ち続け、作品作りに於いてもバンド単位でのライヴ的な音を好み、自らをバンドの一員と捉えてメンバーにも気を使う、そんな人らしい。
自分のエゴよりもバックのメンバーの嗜好をつい尊重してしまい、その結果作品が散漫なモノになってしまう事もある、と。

デヴィッド・ボウイはそんなイギーの人間味や良さをよく理解した上で、「ソロ・アーティスト」としてタフに生き抜く知恵とアイデアを注入して来たように思う。
イギーの長いキャリアの節目節目でボウイはアルバムをプロデュースし、それらはどれも秀れた作品ばかりである。

そう、パンクの嵐が吹き荒れる1977年にリリースされたこの『LUST FOR LIFE』こそイギー・ポップの決定盤と言える名作。最高にカッコ良いアルバムだ。『THE IDIOT』から僅か半年後のリリースだった。
まさにパンクの「ゴッド・ファーザー」としての面目躍如である。
ニッコリ微笑むイギーのポートレートがこの作品への自信と手応えを表しているように思える。

「何が何でも生きたいんだ!」とサヴァイヴァル宣言するオープニングのタイトル曲「LUST FOR LIFE」から最高。
ポジティブなエネルギーに満ち溢れ、溌剌とした歌声。
強烈なドラムビートに乗ってステージに跳び出してくるイギーの姿が眼に浮かぶようだ。
まさしくイギーが好むライヴ的なバンドサウンドで統一されたアルバムである。

前作同様、ボウイが作曲、イギーが作詞を担当した曲が中心で、やはりそのコンビネーションの相性の良さを痛感する。ボウイの才能にも感服だ。
マイナー・キーの曲が多いが、「SIXTEEN」を始め、キャッチーなギターフレーズを持った「SOME WEIRD SIN」などパワフルな印象だ。イギー自身の喜びをストレートに表現した「SUCCESS」、「NEIGHBORHOOD THREAT」のカッコ良さ。
あと個人的に大好きな「TONIGHT」なんて如何にもボウイで、ドラマチックなイントロはモット・ザ・フープルを思わせるものだ。
リッキー・ガーディナー作の哀愁を帯びたダンス・チューン「THE PASSENGER」は言うまでもない名曲。

それにしてもイギーのヴォーカルは最高だ。
そのスタイル。低いトーンから朗々と始まり、ジワジワとテンションが上がって来て、クライマックスでエモーショナルに爆発する変幻自在なその歌いっぷり!
ブルースでもR&Rでも、ファンクだってバラードだってイギーが歌えば全てオッケーという説得力がある。

これ以降のイギーはコンスタントに活動を続け、アルバムを発表するもののもうひとつ焦点が絞りきれずに強いインパクトを残すアルバムを作る事が出来なかったようだ。
この時期は、例の人の良い性格とサーヴィス精神が災いして、との評価で語られる事が多い。

そして、1986年にまたもやデヴィッド・ボウイと組んで出したのが『BLAH-BLAH-BLAH』。
これがまたカッコ良くて、思わず嬉しくなって笑ってしまった。
元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズのギターも聴ける作品だった。

今でもよく覚えてるけどプロモーションで来日してテレビ番組の「ベストヒットUSA」に出演、小林克也氏のインタビューに答えてボウイについて話していた。
「才能はあるし、金持ちだし、おまけにハンサム、やんなっちゃうよ…」
みたいな事を言っていて、イギーの人間性が良くわかるインタビューで面白かったなぁ。

そして1988年、ビル・ラズウェルと組んだ『INSTINCT』。これがメチャクチャカッコ良い大傑作だった!
ここからがイギーの黄金時代と言っても良いかも知れない。
1990年代に突入してからも熱いアルバムを発表し続けて行ったものだ。

そして2016年、『POST POP DIPRESSION』はラスト・アルバムになるかもしれない、なんて言われているが、まだまだイギーの活躍を期待して止まない俺である。
(2016.06.10)

[SIDE 101] ★ / DAVID BOWIE (2016)

今もって信じられないのだが、デヴィッド ボウイのラストアルバムとなってしまった『★』。
これがやたらカッコ良くてずっと聴いている。

ジャズ・ミュージシャンをバックに起用した今作、中核を成すナンバーはどれもヴォルテージが高くて、何と言えば良いのか、ジャズでありながらもヒップホップからオルタナティブまで飲み込んだ、それこそボウイ流のR&Rとなっていて、とても力強い印象を受ける曲ばかりだ。

ああ、またしてもボウイは新しいスタイルを獲得したのだ。その事実に興奮してしまった。
この人はどんなに変化、変貌しても1発でそれと解る独特の歌声を持っていて、そこが大好きなのだけれど、勿論それは健在だ。

特に畳み掛けるリズムの「'TIS A PITY SHE WAS A WHORE」や「SUE (OR IN A SEASON OF CRIME)」のカッコ良さはどうだろう。
こんなアグレッシヴで冒険的なボウイ・アルバムは久しぶりなんじゃないだろうか。
間に挟まる「LAZARUS」のしっとりとした雰囲気も捨て難い魅力を放っている。

そしてオープニングのタイトル曲「★」がとにかく圧巻。これが10分に及ぶ大作なのだ。
ダークで不穏なムード漂うイントロに導かれ、ボウイが語るように歌い始める。「ブラックスター」とは如何にもボウイ自身のイメージを置き換えたものだと思える。
背負い続けた「スター」という存在、「スター」である事とはどういう事なのかを自ら総括するような、朗々とした歌だ。

途中、地獄から天国に昇るように美しいメロディに展開し、儚い夢のように綺麗な世界へ曲調が変わって行く。ここに来て「ああ、この人はもう居ないのだな…」としみじみしてしまうのだが、それを嘲笑うように再びダークなムードが支配し曲は終わって行く。

なんとドラマチックな曲だろう。これでアルバムの世界にグイグイと引き込まれてしまった。
自らの死を自覚しつつ対象化し、死の影を匂わせながらも溜め息が出る程の見事な世界を構築させるなんて業はボウイを於いて他には誰も出来ないであろう。

アルバムを象徴する大作と言えば1976年の作品『STATION TO STATION』のオープニングも10分超えのタイトル曲だったな、と思い出してしまった。あのアルバムも大好きだったから。

そんなデヴィッド・ボウイという稀代なアーティストに出会ったのは1974年頃の事だった。『DIAMOND DOGS』発表後のアメリカ・ツアーを収録した『DAVID LIVE』というライヴ・アルバムのジャケットを見た時の事を何故か鮮明に覚えている。その時は未だグラムロックの「グ」の字も知らなかったけれども、コカイン中毒で頰のこけたガリガリのボウイの姿にはインパクトがあった。そして翌年には本格的にアメリカ進出を果たした『YOUNG AMERICANS』が発売された。
タイトル曲や大ヒットしたジョン・レノンとの共作/共演曲「FAME」とか、ラジオでよく聴いていた。
またこのアルバム・ジャケットでの煙草を持った少女漫画の主人公みたいに美しいボウイのルックスも印象深いものだった。

しかしアルバムは買わなかった。
何故って、この当時の自分の興味と嗜好は何をおいても「バンド」が1番で、「ソロ・アーティスト」は後回しだったから。実に単純な理由で今も変わらないといえばそうなのだが、ともかく小遣いをやりくりして手に入れたいのは先ず「バンド」のアルバムだったのだ。

勿論ボブ・ディランを始め、ボウイやエルトン・ジョンとかニール・ヤング、スプリングスティーンだって本当は興味深々だったのだけれど…。

最初に手に入れたのは1977年、アメリカからベルリンに居を移したボウイの所謂ベルリン3部作の最初の作品『LOW』だ。
これがブライアン・イーノとコラボしたアート志向が強い実験的なアルバムで非常に面白かった。
ボウイとイーノの弾くシンセサイザーを効果的に導入しコンパクトなテクノポップ調のA面と「WARSZAWA」を筆頭にヨーロッパの退廃的なムード漂うオールインストのB面、という構成。
A面の「SOUND AND VISION」なんて今だに大好きだね。
時代はパンク/ニューウェイヴで、その流れの中でさえもボウイの存在感と評価は際立っていたと思う。
ジギー時代にボウイが鳴らしたドライヴ感溢れるR&Rはまさにパンクの原型だったと言える。

そういえばボウイとは何かと縁のあるイギー・ポップ(ストゥージズ)やルー・リード(ベルヴェット・アンダーグラウンド)の事を知ったのもこの時期で、パンク/ニューウェイヴ・ムーヴメントがもたらした影響は視野を拡げてくれたという意味で凄く大きなモノだったなと今にして思うね。

次の傑作『HEROES』と同じ頃だったろうか、1970年代のデヴィッド・ボウイは時代毎に変貌を遂げ音楽スタイルも変えて人々をアッと言わせ続けて来た訳だが、その変容を手っ取り早く教えてくれる絶好のアルバムを俺は手に入れた。
『CHANGES ONE BOWIE』、『魅せられし変容』という日本タイトルが付けられたベスト盤がそれで、初期の「SPACE ODDITY」から1976年の「GOLDEN YEARS」までの代表曲が収録されていた。
シングルのみ発売の「JOHN, I'M ONLY DANCING」も入ったこのアルバムが俺は大好きで本当によく聴いた。
思い入れとしてはこれが1番だな。ただのベスト盤というだけではなく、選曲がR&Rナンバー中心という感じでそれが良かった。

ボウイとは切っても切り離せないテーマは「宇宙」だが、宇宙飛行士の孤独を歌った「SPACE ODDITY」に始まり、ビートルズ的なポップなメロディを持つ「CHANGES」では「変化」について、アーティストとしての決意表明が歌われる。
ボウイの代名詞とも言えるグラム時代の象徴「ZIGGY STARDUST」から「SUFFRAGETTE CITY」、「JEAN GENNIE」、「DIAMOND DOGS」、「REBEL REBEL」と続くあたりはまさにR&R全開でカッコ良い事この上ない。

そう俺にとってのボウイは常に1級のロックンローラー。
例え「YOUNG AMERICANS」や「FAME」でソウルを歌おうが「HEROES」や「ASHES TO ASHES」でニューウェイヴ風にキメようが、「LET'S DANCE」で世界的に大ブレイクしようが、いつもスタイリッシュで見事にカッコ良かった。

『★』の最後は「I CAN'T GIVE EVERYTHING AWAY」というキラキラしたポップ・ナンバーである。美しいメロディに乗せて「私はもう全てを与える事は出来ない」と歌われる。
こんな素敵なお別れソングまで用意して去って行ったボウイ。

これからもずっとずっと、ボウイが遺してくれた素晴らしいロックを俺は聴き続けるだろう。
(2016.02.22)

[SIDE 100] HURT ME / JOHNNY THUNDERS (1984)

不世出のロッカー、ジョニー・サンダース。今年は伝記映画、『LOOKING FOR JOHNNY』も公開されて話題となった。これはジョニーがパリで録音した全編アコースティックの弾き語りアルバム。

TWO-STRUMMERのショウをこの時期にやるのが恒例となっているせいか、12月はアコースティックの季節だと勝手に思ってるところがあって、このアルバムを紹介したい気分なんだ。

ジョー・ストラマーと同じく1952年生まれのジョニー・サンダースだが、20歳そこそこでデビューしたニューヨーク・ドールズ時代、その後のハート・ブレイカーズを率いてロンドンからヨーロッパを席巻した時代、共にパンクのオリジネイターとして今も絶大な人気と影響力を誇っている。またエリック・クラプトンのようなテクニックは無いが、R&Rフィーリング溢れるジョニーのギターは多くの信者を産み、没後25年近く経った今でもその影響力は計り知れないものがある。

トレード・マークのレスポールjr ダブル・カッタウェイ、TVカラーを使用するギタリストは数多い。もっとも、キース・リチャーズも同モデルを使用しているが…。

俺としては、やや遅れて来たファンなのでジョニー・サンダースについて余り偉そうな事は言えない。そもそも「ニューヨーク・ドールズやアリス・クーパーなんてもう落ち目、これからはエアロスミスやキッスの時代だ!」そんな風潮の最中、ロックにのめり込んだ世代だからドールズを聴いたのは随分後になってから、既にバンドは解散していたと思う。しかしストーンズ・フリークの俺がドールズの音に反応しない訳はなく、「PERSONALITY CRISIS」1発でファンになってしまったのは言うまでもない。

デヴィッド・ヨハンセンのヴォーカルも大好きだが、何よりジョニー・サンダースのギターの勢いと切れ味には凄いインパクトを受けたものだ。若さに加えてドラッグの影響もあったかも知れないが、とにかくこの人にしか弾けない圧倒的なギターであった。更に、「ストーンズの質の悪いコピーバンド」的な呼び方は、その後のエアロスミスに対してと同じくらい馬鹿げていると感じたね。

ドールズ解散後、パンク前夜のロンドンに渡ったジョニーの問答無用の傑作「L.A.M.F」に関しても完璧に出遅れてしまって、何故そうなったのかは自分でも全く覚えていないが、聴いたのは「REVISITED」が出てからだった。リヴァーブ感たっぷりのR&Rからは60年代のブリティッシュ・ビートの匂いがプンプンして、最高にカッコ良かったな。ジョニー・サンダースという人のバックボーンがよくわかった。

パンク・ムーヴメントは自分達の世代が体験する初の「カウンター・カルチャー」だった。シーンは活気に溢れていて、そのムードの中で自分も興奮を味わっていた。そこに雨後のタケノコの如く続々とパンクバンドが登場して来た。また2TONEのスカやレゲエ、ダブにも光が当てられ、あの時代は聴きたいレコードがそれこそ山のようにあった。きっとそんな中でこの『L.A.M.F』を聴き漏らしてしまったんだろう。これが言い訳(笑)

ハートブレイカーズを解散してソロになったジョニーが作ったのが1978年の『SOALONE』、これは当時よく聴いた覚えがある。このアルバムで好きだったのはアコースティックな傑作バラード「YOU CAN'T PUT YOUR ARMS AROUND A MEMORY」、ジョニーの繊細な歌声と哀愁のギターが最高だった。ジョニー・サンダースの魅力はタフでルーズなR&Rばかりじゃない事を教えてくれた。勿論今もフェイバリットだ。

スティーヴ・ジョーンズ&ポール・クック、フィル・リノット、ポール・グレイ、スティーヴ・マリオット、パティ・パラディン等、ゲスト陣が多数参加している豪華なアルバムである。ファースト・ソロだし気合いが入ってるという印象、オープニングはライヴでも有名な「PIPELINE」。曲調もバラエティに富んでいた。ややゲスト陣がフィーチャーされ過ぎてる気がしないでもないが…。

そして『HURT ME』、一転してここには裸のジョニー・サンダースしか存在しない。この振り幅の大きさがまたジョニー・サンダースその人なんじゃないかな。優しいヴォーカルと驚くほどしっかりしたアコギのプレイとその響き、剥き出しだからこそより一層ジョニーが身近に感じられるアルバムで、だから時々引っ張り出しては無性に聴きたくなるのだろう。

大体、アコギ一本の弾き語りアルバムをリリースしたパンクロッカーなんてジョニー・サンダースを於いて他には居ない。曲によってはダビングされたエレキGが聴かれるが、それがまた実にジョニーらしいフレーズでたまらなく良い。それにしてもこのアコギのシャープなカッティングはどうだろう。過剰なドラッグ癖により時にギターをまともに弾く事さえ出来ない時もあるジョニーだが、ここではピート・タウンゼントばりのプレイを披露している。

シド・ヴィシャスに捧げた「SAD VACATION」が印象的だ。ハートブレイカーズ解散後、シドとバンドを組むという噂もあったが実現していたら果たしてどうだっただろう…。

リチャード・ヘルとの共作「HURT ME」を始め選曲も中々興味深く、オリジナルの他、バリー・マクガイアの反戦ソングやボブ・ディランのカヴァーもある。余程のストーンズ・マニアしか知らないだろうアンドリュー・オールダムとキース・リチャード(この頃のキースの芸名はリチャード)の共作曲「I'D RATHER BE WITH THE BOYS」なんて曲までやっていて思わずニヤリとさせられる。前述した「YOU CAN'T PUT〜」も入っていて嬉しい。アルバム全体にはやはり深いリヴァーブが掛けられ、エレキだろうとアコギだろうとここでもジョニーのR&Rの世界を強烈に感じる事が出来る。

実に味わい深い作品である。

1991年に38歳の若さでこの世を去ったジョニー・サンダース。その生き様を全て音楽に反映させていた。刹那を響かせたそのギターの音色と共にこれからもR&Rフリークスを魅力し続けて行くだろう。
(2015.12.15)

[SIDE 99] JOHN MAYALL&THE BLUES BREAKERS WITH ERIC CLAPTON (1966)

ブリティッシュ・ブルースロックの代名詞的作品。
後世に計り知れない影響を及ぼした傑作である。

クリーム結成前夜のエリック・クラプトンが真正面からブルースに取り組み、嬉々としてギターを弾きまくっている。その流麗にして情感たっぷりのプレイは「ギターの神様」の称号に相応しいもの。1曲目のオーティス・ラッシュ作品「ALL YOUR LOVE」からまさにクラプトン節全開、泣きのギターがタップリ堪能出来る。
更にマーシャル・アンプにレスポールを直結したそのサウンドは、ハードロックの雛型としての側面も併せ持つ。
現在はマーシャル・アンプも近代化して歪み方のバリエーションも様々だが、ここで聴かれる音こそ「マーシャル!」というものだと思う。
ツーンと伸びやかな高音にナチュラルな歪み方。
くすんだ英国的な音。

かのジミ・ヘンドリックスもクラプトンに影響され、渡英した際にやはりマーシャルを購入したという話もあるくらいだ。

そういえば1970年代、俺がまだロックを聴き始めた頃の事だが、ロック界には「3大ギタリスト」という呼び方があった。
その3人とは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジの事であり、世界で最も有名でかつ影響力を持ったギタリスト、みたいな言われ方だったと記憶している。
「えーっ、リッチー・ブラックモアじゃないの
?!」とか「今やブライアン・メイだろっ!?」とかアキト少年は思ったものだが、ともかくその3人は別格扱いみたいだった。

これは3人が皆揃ってヤードバーズの出身だという事も関係していたんだろう。そして脱退後にそれぞれが立ち上げたバンドが、クリームであり、ジェフ・ベック・グループでありレッド・ツェッペリンな訳だから、それは別格にもなろうというものだ。
従ってヤードバーズは何だか知らないが神格化されていた。その頃日本盤のレコードなんか殆ど廃盤で輸入盤しか手に入らなかったが、
とにかく「ヤードバーズを知らなきゃロックファンとは言えない…」みたいな脅迫観念に駆られて必死で探して聴いた。
殆どが編集盤ばかりだったが。

従ってヤードバーズに関しては、実体はよく解らないけど「3大ギタリスト」を産んだ偉大なバンドで、色々なバンドがカヴァーした
「TRAIN KEPT A ROLLIN'」で有名なヤードバーズ。
知ってたのはそのくらいのもんだった。

ついでに言うとその「3大ギタリスト」なるモノを知った時、ベックとペイジはともかくクラプトンの何がそんなに凄いのか俺にはさっぱり解らなかった。
というのもエリック・クラプトンの名前を知るきっかけはラジオで聴いた「I SHOT THE SHERIFF」だったから。ボブ・マーリーのカヴァーであるこの曲は1974年当時大ヒットしていてラジオでこれでもか!というくらいかかっていた。時代を先取りしたセンスは今思えば凄いのだが…
その時はレゲエなんて全く聴いた事がなかったし、レイドバックした曲調、派手なギター・ソロも無く延々と同じフレーズを繰り返すその曲が俺にはとてもじゃないが理解できなかった。
「こんな人が本当に偉大なギタリストなのか?」
そう思ったものである。

同時にこの人は歌も歌うんだな、と知った。
そう、他の2人とクラプトンが決定的に違うのはヴォーカリストとしての才能も持っている事だ。(ベックも、止せばいいのに歌ってたが…)
このアルバムでもロバート・ジョンソン作品の「RAMBLIN' ON MY MIND」で魅力的な喉を披露している。

エリック・クラプトンは根っからのブルース信奉者だったから、初期は黒っぽいリズム&ブルースばかり演奏していたヤードバーズが、やがてブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗っかろうとコマーシャル化して行く事に反発した。この時代のヤードバーズの大ヒット曲「FOR YOUR LOVE」を嫌悪してレコーディングにも参加しなかったのはそんなクラプトンの姿勢を象徴するエピソード。
クラプトンはヤードバーズを脱退した。

そんなクラプトンに声を掛けたジョン・メイオールの目は確かだったと言える。勿論クラプトンはヤードバーズ時代から「スロー・ハンド」の異名を持つ名手ではあったが、2人のコラボレーションはこんな素晴らしいアルバムを産む結果となったのだ。
メイオールもまたブルース狂、ピアノにオルガン、ブルースハープをプレイし歌う、才能あるミュージシャンでソングライター。
メイオールの弾くハモンド・オルガンとクラプトンのギターの絡みなんて実に魅力的だ。
2人がゴキゲンにスウィングするレイ・チャールズ作品の「WHAT'D I SAY」ではビートルズの「DAY TRIPPER」のフレーズまで飛び出してきて中々楽しい。

厳しい声も上がるメイオールのヴォーカルだが、俺はけっこう好き。ジャック・ブルースとまでは行かないが伸びやかで若々しい歌はアルバムの聴きやすさに貢献していると思うのだ。

半数以上がカヴァーで占められたこのアルバムは多くのブルース・ファンを唸らせ、熱烈に支持されたのだが、やはり成功に導いた1番の要因はエリック・クラプトンのギターであり、その音色を含めて時代を築く革新性にあったのだと思う。
(2015.09.09)

[SIDE 98] VENUS AND MARS / WINGS (1975)

昨年5月の全公演中止という大事件から11ヶ月、ようやくポール・マッカートニーが日本に帰って来る。
そうあの日、何千何万というファンが待ち受ける国立競技場の入場ゲート前で、その中の1人として「中止」のアナウンスを聴いた時の落胆は今も記憶に新しい。

残念でならなかったが、むしろその時は病に倒れたポールの体調の方が気になって仕方がなかった。何せ御歳71才、ツアーに出て遥々日本までライヴをやりに来る事自体、驚異的な事なのだから。

更に2013年には2時間半に渡るその超人的且つ感動的なパフォーマンスを目の当たりにしてしまった訳で、インターヴァルが半年だろうと何だろうと「また観たい」という気持ちを抑える事など出来なかった。

「来るんだから当然観に行く」
これがファンの務めである(笑)
ストーンズやキッスに対しても同じなんです、俺。

『VENUS AND MARS』はウィングスの大ヒット作で、とりわけ俺世代のファンにとっては特別に思い出深いアルバムではないだろうか。
このアルバム発表後の世界ツアーに於いてポール・マッカートニー&ウィングスはビートルズと同じようにNo. 1グループとして認知される事となったからだ。
ビートルズ解散から5年、ポールはついにやったのだ。

この布石が前作の『BAND ON THE RUN』の大ヒットにあるのは間違いない。
ロックに目覚めた時にはビートルズは既に存在してなかった俺世代の人間にとって、ウィングスはとても重要なバンドだった。
ウィングスを聴いてビートルズの事を知った訳だからね。
以前にも書いてきたが『BAND ON THE RUN』収録の「JET」やアルバムタイトル曲「BAND〜」のシングル盤等がロックへの入口だったから、ポールこそ最初に出会った「ロックスター」と言ってもいい。
「JET」のジャケ写のようにリッケンバッカーのベースを下げて歌う姿こそが俺のポール・マッカートニーであった。
それは実に魅力的に映ったものだ。

更にポールにはバンドがあったというのもポイントで、メンバーの事はよく知らないがウィングスなるバンドを率いてロックしているポールに惹かれたのだろう。

バンドの話と言えば、傑作アルバム『BAND ON THE RUN』の制作には有名な逸話があって、レコーディングの地にナイジェリアのラゴスを選んだポールに反発した当時のウィングスのドラマーとギタリストが出発直前になって脱退してしまうという事件があった。
仕方無く、残ったポールとリンダとデニー・レーンの3人だけでラゴスに向かいレコーディングを敢行したのだ。ポールはベースの他にギター、キーボード、ドラムまでプレイしあの名曲たちを産み出した訳である。
傑作の誕生裏にはドラマがあり、これは才能だけでは語れない意地とプライドが詰まった入魂の1作と言える。

新たにギタリストのジミー・マカロックとドラマーのジェフ・ブリトンを迎え新生ウィングスは活動を再開しアルバム作りに取り掛かった。レコーディング途中でドラマーはジョー・イングリッシュに変わったが、主にナッシュビルやニューオーリンズ、ロサンゼルスでセッションは行なわれたらしいが、それが影響したのかどうか『VENUS AND MARS』は全体的に深く掛けられたリヴァーブ感が印象的な、一種独特のサウンドを持っている。
『金星と火星』とタイトルにあるように、スペーシーな雰囲気とでも言えば良いか。

アルバムを象徴するのはオープニングだろう。
短いアコースティックの「VENUS AND MARS」から一転、ライヴの開始を高らかに告げるハードR&R「ROCK SHOW」へと続くメドレー。非常にドラマチックな展開がカッコ良くて当時のライヴの定番オープニング曲だった。
1976年頃だったかな、日本でもこれが観られる筈だったのだが、ポールとリンダ夫妻のマリファナ所持の前科から、入国許可が降りずこの時期の来日公演は流れてしまった。

更にこんな前歴がありながら、ようやく決まった初来日の1980年、成田空港の税関で大麻不法所持で逮捕され初のウィングス来日公演は勿論中止…俺は泣く泣くチケットを払い戻した思い出がある。
全くポール・マッカートニーと日本との間には何か因縁めいたものがあるらしい。

余談ながら、ポール逮捕に始まりジョン・レノン暗殺で幕を閉じた1980年はビートルズ・ファンにとっては全く最悪な年だったのだ。

『VENUS AND MARS』に話を戻すと、バラエティーに富んだマッカートニー・ミュージックが楽しめるのは勿論、デニー・レーンとジミー・マカロックが各自リードVOを務める曲も納められている。
これはポールの狙いとして、バックバンドでは無い「ウィングス」をアピールするためだった。従ってこのアルバムの表記はポールの名前が無くただの「ウィングス」。

新メンバーでは若きハードロック野郎的なギタリストのジミー・マカロックが印象深い。ジミーはウィングス脱退後に再結成スモール・フェイセズに加入する等、若いくせにやけにブルージーなプレイを聴かせたが、そのギターはウィングスのハードな一面を担う大事な要素だったと思う。
1979年にはドラッグのオーヴァードーズで亡くなってしまうが、ルックスも良かったから残念に思う。

シングルカットされ大ヒットした「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」、これもまたポールならではの素晴らしいメロディで、今も大好きな曲である。

2013年はその「LISTEN〜」をやってくれたから、今回は「VENUS AND MARS」〜「ROCK SHOW」をやってくれないかな、武道館のステージなんかどうですか?ポールさん。
(2015.04.20)

[SIDE 97] ユー・メイ・ドリーム / レイジー・クレイジー・ブルース/シーナ&ザ・ロケッツ (1979)

去る2月14日、シーナがこの世を去った。

内田裕也氏のツイッターから端を発したこのニュースを偶然にも眼にした時「まさか!?」と思った。
にわかには信じられなかった。だって昨年の9月13日、日比谷野外音楽堂で行なわれたデビュー35周年を祝うシーナ&ロケッツのライヴを観に行ったばかりでそれはつい先日の事のように思っていたのに。

何という事だろう、シナロケは最早伝説となってしまったなんて…

このアニバーサリー・イベントに合わせるように出た6年振りのニューアルバム『ROKKET RIDE』や昔のレコードを引っ張り出して聴きまくり、ライヴを待ち望んでいた俺だ。
嬉しかったのは喉のポリープを除去する手術を受けたシーナの声が『ROKKET RIDE』では復活。そう、確かにキャリアを重ね喉を酷使し続けたシーナの歌声は変わって行った。
自分を含めファンは身勝手にあれこれ言うが、ヴォーカリストが背負う宿命とはかくもハードなものなんだなとアルバムを聴きながら思ったものだ。
まだまだこれからだったのだ。

しかも野音のライヴの時には既にシーナは自身が末期癌に侵されている事を知っていたという…
メンバーや特に夫である鮎川誠氏の胸中を思うとやるせない気持ちが込み上げて来る。
最愛の妻であり、長きに渡る戦友を失った事になるからだ。
鮎川氏のこれからの活動もしっかり見届けて行きたいと思う。

野音のライヴはシーナ抜きのロケッツからスタートし、30分程してちょうど陽が暮れる頃に「バットマンのテーマ」に乗ってシーナが登場するという演出が為されていた。
いつものミニスカート姿にタンバリンを持ったシーナは眩しいくらいのオーラを放っていた。俺としては聴きたい曲は山ほどあったが、構成は『ROKKET RIDE』をメインに据えたセット。シナロケの「今」をしっかりと観せてくれた。潔いほど。そして俺はバンドの未来を確信した。是非今年も機会があれば観に行くぞと思わせる素晴らしいライヴだった。

ライヴ中盤シーナが再び引っ込む場面もあったが、ツアー中に体調を壊したシーナが一時的に離脱していた話も知っていたから、「ああ、まだ体調を考慮して大事をとっての事なのだな」くらいにしか思ってなかった。
本当にそれくらいにしかだ…

シナロケと出会った時の事は鮮明に覚えている。
1978年の終わり頃、当時一緒にバンドをやっていたT君の家に学校帰りにいつものように遊びに行くと「新しくデビューするバンドなんだけどカッコ良いぜ」と言って聴かせてくれたのが「涙のハイウェイ」だった。T君はリッチー・ブラックモア狂で、同時に日本のロック好きでもあり、村八分や外道のファンだった。
どちらかと言えば洋楽ばかり聴いていた俺は当時サンハウスすら知らずにいた訳で、T君の情報は貴重なものだった。

針を落とすと勢い良く飛び出してくるギターの音、スピード感溢れるビートに引き込まれる。そしてシーナの歌。上手いとか下手とかの基準では計れないその真っ直ぐで小気味よい歌いっぷりに圧倒された。
B面の「恋はノーノーノー」もまた歌謡ロック的なメロディが印象的な曲だった。
それは初めて聴く『めんたいロック」であり、同時に「日本のパンク」でもあった。
ジャケットには鮎川氏とシーナしか写っていなくて、また「鮎川誠/シーナ・ロケット」と「ROCKETS」の文字が両方表記されていたからバンドの実体はイマイチ判らなかったけれど音は一発で気に入ったのだった。

1979年になってレコード会社を移籍し、一気にメジャー展開が始まる。発売されたのがこの「ユー・メイ・ドリーム」、この時代の日本音楽シーンの象徴とも言えるYMOとのコラボ作品。これが俺には決定打となった。

フィル・スペクター直系の60年代サウンドに乗ったシーナのコケティッシュなヴォーカルは甘酸っぱい世界へと聴き手を誘い、このポップナンバーをただの甘いだけの曲に終わらせない鮎川氏のギターがカッコ良いフレーズで盛り立てる。
全てが素晴らしかった。
シナロケの魅力とはこの2人のバランスの妙であり、それは唯一無二のモノだ。
これを支えるリズム隊、浅田孟氏のベースと川嶋一秀氏のドラムも忘れてはならないが。

日本のロック・アイコンと言える鮎川氏はブリティッシュ・ビートをルーツにし、またブルースにも精通している。R&Rのカッコ良さを知り尽くし体現する偉大なギタリストである。またその日本人離れしたルックスも含めて、こんな凄いギタリストが日本に居たのか、と当時本当にビックリしたものだ。
そして66歳の今も現役バリバリでツアーをやっている。
全く凄い事だ。俺はリスペクトを禁じ得ない。

因みにバンド名の表記の仕方には幾つかの変遷があり、デビュー当時は「ROCKETS」、その後「ROKKETS」に変わった。日本語表記は「ザ・ロケッツ」から「シーナ&ザ・ロケッツ」、ビクター時代には「シーナ&ザ・ロケット」の時期があって、現在は「シーナ&ロケッツ」になっているようだ。中々紛らわしいけれど。

病気が発覚した時、鮎川氏に「癌の治療か、ロックか」と尋ねられたシーナは迷わず「ロック」と答えたという。
まさにR&R人生を全うした人だった。
天国でもどうかミニスカート姿でR&Rし続けて欲しい。
いや、そんな懸念などきっと不要な筈だ。

「ベイビー・メイビー」、「ピンナップ・ベイビー・ブルース」、「スイート・インスピレーション」、「今夜はたっぷり」、「どうしても逢いたい」、「ハッピー・ハウス」…
シーナの歌声は俺の心の中でいつまでも鳴り続ける事だろう。
(2015.02.25)

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