AKITOのロックンロール・レコード
[SIDE 53] WHO'S NEXT / THE WHO(1971)

THE WHOの来日が決定した!前回、2004年のイベントでの初来日を見逃してしまい、もう2度と観られないのでは?と死ぬほど後悔した俺にとってはまさに狂喜するほどのニュースだった。しかも今回は単独公演、往年の名曲がたっぷりと聴ける事だろう。「MY GENERATION」、「THE KIDS ARE ALRIGHT」、「PINBALL WIZARD」、「5:15」、「WHO ARE YOU」…あー、待ちきれねぇ…とりあえずは11/16のさいたまスーパーアリーナ公演まで指折り数えて待つ事にしよう。
さて、ザ・フーと言えばこの『WHO'S NEXT』。ロック・オペラ『TOMMY』と並びザ・フーの、いや全てのロック・アルバムの中でも最重要作にして最強のアルバムであると言ってしまいたい。
R&Bを基調としたモッズのリーダー的グループとしてスタートした彼らだが、1968年のストーンズが企画したTVショウ「ロックンロール・サーカス」や伝説の1969年ウッド・ストック・フェスティバルを経て70年代始めまで、史上最強のR&Rバンドへと成長し、その座に君臨していたザ・フー。そのパワーを捉えた見事な作品で、何百回と繰り返し聴いてきたが、今でも聴く度に気持ちは高揚し、心は何処までも高く高く昇って行くような気持ちになってくる。これはどういう事なのだろう。
ザ・フーの魅力はその破天荒なパワーに留まらず、同時に緻密に計算された繊細な演奏をも聴かせる各メンバーの高度なテクニックとオリジナリティに裏打ちされたサウンドにある、すぐにザ・フーだと判る強烈な個性を持っているのだ。またオペラ仕立の複雑なストーリーを組み立て、シリアスなメッセージを聴き手に投げかける知的な一面もある中々深いバンドでもある。そんな魅力が一番バランス良く提示されたアルバムと言えるのではないか。
1970年代、日本では人気も知名度も圧倒的に低かったザ・フー、俺もその意味では遅れてきたファンだった。ザ・フーの存在が強烈に印象に残ったのは、映画「ウッドストック」を見た高校生の時である。長い映画だったため、途中退屈してきて映画館の中でウトウトしていた俺の耳と眼に突然彼らは現れ、サウンドを叩き付けてきた。跳び上がり腕を振り回し、チェリーレッドのSGスペシャルを宙に放り上げるピート・タウンゼントの勇姿には物凄いショックを受けたものだ。彼らはまさしくロックを体現していた!
暫くしてパンク・ムーブメントが起こり、ザ・フーこそゴッド・ファーザー・オブ・パンクと呼ばれるようになり、1979年のドキュメンタリー映画「キッズ・アー・オールライト」を観てザ・フーに対する気持ちは決定的なものとなった。いや勿論『QUADOROPHENIA』を映画化した「さらば青春の光」も最高だったけれど…。
この「キッズ・アー・オールライト」があったからこそ今の自分があり、ここに、このステージに立ち続けている、そう思える位俺にとっては大事な映画なのだ。この映画に収められたデビュー当時から1978年までの圧倒的なパフォーマンスの数々と「ロックとは大音量で鳴らしてこそ」とのピートの言葉は今もこの胸に刻み込まれている。
キース・ムーンとジョン・エントウィッスルまでもが亡くなってしまった今、あの4人でしか出し得なかったサウンドは変化したとしても、あの名曲達を生で聴ける事に俺は興奮している。名曲揃いのこのアルバムからだと「BABA O'RILEY」だろ、「BARGAIN」もやってくれないかなぁ、「SONG IS OVER」も渋いねぇ、「BEHIND BLUE EYES」は絶対やって欲しいぞ、極めつけは「WON'T GET FOOLED AGAIN」これぞザ・フーだ。あのゾクゾクするような力強いイントロが眼の前で始まったら…感動するだろうなぁ、泣けてくるかもな。そしてサビは当然一緒に歌う、一番好きなライン「PICK UP MY GUITAR AND PLAY,JUST LIKE YESTERDAY」の所は更に大声になるな、たぶん、いや絶対!名曲ってのは時間も、作った本人はおろか聴いてきた人間の青春やら挫折やら、人生さえも軽々飛び越えて輝き続けるんだからさ。
(2008.06.27)
[SIDE 52] WORLD WAR III / MIKEY DREAD(1980)

マイキー・ドレッドが病気で亡くなったと知ったのは暫く前の事だった。長い事入院していたらしい。偉大なダブ・マスターでありDJだった。別に大ファンだったなどと言う程、熱心に聴いていた訳じゃないけれど、マイキーはエレン・フォーリーやタイモン・ドッグ、ミッキー・ギャラガー等と同じようにクラッシュ・ファミリーの一員で、その中でも最も大きな影響を彼らに与えた人だったと思っている。その最大の成果が『SANDINISTA!』であり、「BANKROBBER」だ。『SANDINISTA!』での全てのトラックに掛けられた深いエコー、それは最初のコラボレート作品となったシングル「BANKROBBER」のサウンドを推し進めたものに違いない。
このアルバムはマイキーの代表曲「THE JUMPING MASTER」を含む傑作アルバム。クラッシュが受けた影響と同じく、マイキーもまたクラッシュから大きく影響されたものがあった筈。タイトルの『第三次世界大戦』からして、ニカラグアのサンディニスタ政権革命を始め政治的なテーマを取り上げ、社会の矛盾を突きながら世界を変えようと歌っていたクラッシュに共鳴してのものではないか。
ジャケもカッコ良くて、このアルバムを当時レコード屋で見つけた時は興奮したものだ。裏のクレジットを読んで更に興奮!SPECIAL THANKSの所に"THE CLASH"〜ポール、ジョー、ミック、トッパー(という順番で)そしてミッキー・ギャラガーの名前がある。 レコーディング自体はジャマイカのCHANNEL ONE STUDIOだが「JAH JAH LOVE」という曲だけはWESSEX STUDIOでのMIX、更にアルバム全部のREMIXもそこでやっている。WESSEX STUDIOと言えば『LONDON CALLING』が制作された所。しかもミックス・エンジニアはビル・プライスとジェレミー・グリーンのコンビで『LONDON CALLING』と同じだ。つまり制作時期が同じという事だろうか、これは。ひょっとしてクラッシュがバックを務めているのかも、いやそうに違いない!果たして家に急いで帰って聴いてみた。「JAH JAH LOVE」では確かにフェイザーを掛けたギターの音が聴こえる、この音は「JIMMY JAZZ」や「RUDIE CAN'T FAIL」等で聴く事ができるミックのギターと同じ音ではある、だけどミックが弾いているのかと言われたら、どうもよく判らない。いかにもミックというフレーズは出て来ないからだ。ベースやドラムに関してもそれは同じである、勿論ジョーの声も出ては来ない。うーむ…
俺が持ってる1980年のハマースミス・パレイスでのクラッシュのライヴ・ブートレッグではマイキーをゲストに迎えて「BANKROBBER」と共に「THE JUMPING MASTER」も一緒にプレイしてるのだけどね…そう、1980年の16 TONSツアーはマイキーとミッキー・ギャラガーが加わった豪華なツアーだった。「BANKROBBER」のビデオ・クリップでもほんの少し観る事ができるけど、このツアーは本当に観たかった。クラッシュの来日は2年遅かったのだ。
マイキーはボブ・マーレイやジミー・クリフのような、素晴らしい歌声で魅了するシンガーではない。歌うというより語るようなDJスタイルで、あくまでサウンド・クリエイターなのだ。しかしあの印象的な声はどこかユーモラスで、親近感を覚えずにはいられないものだった。ダブを広くロック・ファンに浸透させた功績は大きい。特に「ONE MORE TIME」/「ONE MORE DUB」のカッコ良さは俺の中でいつまでも生き続ける事だろう。
(2008.05.01)
[SIDE 51] NO CHANGE / THE STRUMMERS(2008)

久しぶりの音源リリース、BASEMENT WISE Vol.2とセットでの発売である。言うまでもないがこれはBASEMENT WISEのオマケなどでは決してない、2008年の第1弾としてストラマーズが自信を持って発表する新曲だ。熱心なストラマーズ・フリークが待ち望んでいたように、我々も待っていたのだよ!その喜びを爆発させつつのレコーディングだったが、『WILD ROMANCE』以降、更にタイトになったノリとふくよかさを増した表現力、自分自身そんなバンドの成長ぶりを実感出来た訳で、その成果は聴いた人にも感じて貰える事だろう。そして、そんなサウンドに乗った岩田の熱き歌声、もはや上手いとか下手とかいうレベルで評価される事を拒絶するかの如く切実な響きを持っている。ただ核心だけをこちらに叩き付けるようなパワーは岩田の真骨頂だと感じる、ぐっと来るか来ないか、それだけ。それがロックではないだろうか。
ギター・サウンドについて少し触れさせてもらうと、今回俺はマーシャルJCM800を使用、ゲインをホンの少し足すために大口からプレゼントされたマーシャル社製のディストーション、SHRED MASTERを噛ましている。勿論大口はいつもの2000。左右がマーシャルの為か非常にパワフルで硬質なブリティッシュ・サウンドという印象になった。プレイに関しては大口のソリッドなリフと、アキト節と人が呼ぶオブリ&ソロがフィーチャーされ、それぞれの良さは今回も遺憾なく発揮された。おっと、益々堅実さを増した家根谷のベース、レコーディングを重ねる毎に腕を上げる誠一郎のドラムも忘れちゃいけない。
カップリング曲の「HOT ROAD」は『STAND AGAIN』収録の俺のお気に入りの1曲。今まで何度となくライヴでプレイされてきた曲だが、今のメンバーになってからの「HOT ROAD」がベストだと言い切れる。「GO! LET'S GO!」コーラスも含め、歌の世界とマッチした疾走感は俺達5人ならでは。オリジナル・ヴァージョンの個人的な曲の肝は3コーラスが終わってからフェイド・インしてくる俺のこだわり、フィード・バックだ。18年前の今頃だったか、ロンドン郊外のコンフォーツ・プレイス・スタジオでのレコーディング。その広いスタジオの中、たった1人レスポールを抱えマーシャル・アンプに向かい、渾身の(笑)フィード・バックのテイクを録音しながら、自分がとうとうプロのギタリストになった事を実感したものだ。余談だが、この曲には俺の好きなアラン・シリトーの小説『長距離走者の孤独』のイメージとダブる所がある。主人公のスミス少年がまだ誰も起き出して来ない早朝、野原を駆け抜け、ひたすら走る。「奴ら」の鼻をあかしてやるために。そして想う、自分は世界にたった1人きりで、周りを取り巻く世界や権力に屈する事は決してない!と。そんなストーリーをギターで表現したかった。
あのフィード・バックを録った時の事は何故か今でも鮮明に覚えているんだ。新ヴァージョンは左右から1本ずつタイムを少しずらしてフェイド・インさせた。これが18年後の今のスタイルだからだ。
岩田のアイディアでリミックスされた「STRUMMER DUB」は80年代に大ブームだった12インチ・シングルを再現させようというモノ。あの頃はダンス・ミックスだの、誰それミックスだとか言って同じ曲が4ヴァージョンも入ってる12インチまであったものだ。くだらねぇ、と思いつつもカッティング・レヴェルが高くて音が良いからB.A.Dやスタイル・カウンシルの12インチ等は必ず買っていたものだ。
好みは別れるだろうが、俺は気に入ってるよ。曲が解体されリミックスされる作業に立ち会ったのも楽しい経験だった。
BASEMENT WISE Vol.2はストラマーズ・サウンドが紙面から聴こえてくるような仕上がりを誇り、同様に音源もたった3曲ながらロックとしか言いようのない音と我々5人のミュージシャン・シップが詰まった素晴らしい出来映えだと自負している。是非皆の手に届く事を願うよ。
(2008.02.16)
[SIDE 50] SPIRIT OF ST.LOUIS / ELLEN FOLEY(1981)

本当は昨年の『SANDINISTA!』の次はコレだ、と決めてたんだけどCARBON/SILICONのアルバム発売という事件があったものだから順番が狂ってしまった…。
知ってる人もいるかと思うけど、エレン・フォーリーは当時のミック・ジョーンズの彼女だった女性ロック・シンガーである。2人はクラッシュのアメリカ・ツアー中に知り合い、恋に落ちた。仲睦まじく寄り添う2人のツーショット写真があちこちのロック雑誌のグラビアを賑わしたのが懐かしい。「今をときめくパンク・ロックのプリンスと新鋭女性ロッカーの恋」なんて言われていた。そういえばPLAYER誌に2人のポスター・カレンダーが付いていて、部屋に貼っていたっけな。
エレンの名前が世に知られるきっかけとなったのは1978年、アメリカの巨漢ロック・シンガー、ミート・ローフのアルバム『BAT OUT OF HELL』に参加し、「PARADISE BY THE DASHBOARD LIGHT」をデュエット、全米39位のスマッシュ・ヒットになった時だった。英国音楽業界にその名は知れ渡り、多くのアーティストからセッション参加を要請された彼女。そんな彼女の才能に目を付けたのが元モット・ザ・フープルのイアン・ハンターとミック・ロンソン、イアンのソロ・アルバム『YOU'RE NEVER ALONE WITH A SCHIZOPHRENIC』に参加後、1979年、ハンター/ロンソン・プロデュースによるデビュー・アルバム『NIGHT OUT』を発表したのだった。イアン及びモット・ザ・フープルをアイドルとするミックが彼女に興味を持ったのはそんな経緯からなのだろうか。そしてミックはイアン達を通じてニューヨークでエレンと出会った。
ミックの後を追ってロンドンにフラットを借りたエレン、程なく彼女はクラッシュ・ファミリーの1員として迎えられ、ミック及びメンバー全員の全面的協力のもとに作り上げたのがこのアルバム。PRODUCED BY MY BOYFRIENDとクレジットがある。更にミキシング・エンジニアはビル・プライス、ジャケット・フォトはペニー・スミスとクラッシュ関係者が脇を固め、全12曲中、なんと6曲がSTRUMMER-JONESの手になる作品だ。更にさらに凄いのがバックはほぼ全曲に渡りジョー、ミック、ポール、トッパーの4人プラス、タイモン・ドッグにミッキー・ギャラガー等いつものクラッシュ・ファミリーが総出演。ファンにはたまらない豪華キャストだ!そう、このアルバムは『SANDINISTA!』とほぼ同時進行でレコーディングされていた「裏」盤なのだ。それにしてもあの3枚組超大作を考えると、この時期のクラッシュの何たるクリエイティヴィティと仕事量だろう…
STRUMMER-JONESナンバーのメランコリックなオープニング「THE SHUTTERED PALACE」から『SANDINISTA!』でのカリプソ風味が聴かれ、クラッシュの豊かな音楽的進化と成熟を改めて思い知らされる。2曲目「TORCHLIGHT」は同アルバムの名曲「HITSVILLE U.K.」と同じくミックとエレンのデュエット、ミックの張り切り振りが微笑ましいポップ・チューン。その他の楽曲もこの時期のクラッシュらしい、様々な音楽的アイディアをクラッシュ流に消化した愛すべき曲ばかりで、それは『SANDINISTA!』の1番ポップな部分でもある。
クラッシュをバックに伸び伸びと歌うエレン、可憐な顔に似合わず野太い声の彼女だが、その歌声は凄く上手い訳ではないがエモーショナルで、彼女の女性ロッカーとしての魅力はその辺りにあるのだろう。俺にとっては何よりクラッシュがバックを勤めているという1点に於いて、もうこれは隠れた名盤として評価されるべきだと思っているのだが。とくに『SANDINISTA!』をこよなく愛する俺のような者にとっては、このアルバムへの興味は尽きない。
ミックとエレンの関係はミックのクラッシュ脱退と時期を同じくして終わったと言われている。バンドを追い出され、恋人とも別れたミックの当時の胸中やいかに…
硬派なイメージのクラッシュだが、ジョーの伝記映画を見るまでもなく、その陰にはロマンスがあった。彼らは若さを爆発させ、ロックし、精一杯生きた。ミックとエレンの恋が残したのは1枚のアルバム、このアルバムを聴く度に思う、おそらく俺達と何等変わらないであろう、彼らにもあった青春(!)や日常生活の事を。そして彼らがより身近に感じられる。そんな素敵なアルバムなのである。
ある日、このアルバムを聴き終えてから、イメージが湧いて来て曲が出来た。ちょっと感傷的なロマンチックな曲だ。Demoを作って岩田に渡したその曲はスタジオ・セッションで完成し「傷だらけの恋のメロディ」となった…。「ああ、2度と戻れないSTAIRWAY…」
(2008.02.06)
[SIDE 49] THE LAST POST / CARBON/SILICON(2007)

遂に出たか!という感じである。ミック・ジョーンズの新バンド、カーボン/シリコンのフル・アルバム。俺は待っていたよ、ミックの復活を。
ジョーが亡くなった2002年12月から年が明け、追悼番組がTVでいくつか放映され、ミックやトッパーやグレン・マトロックらのインタビューが流れたのを見たが、その中でミックは元ジェネレーション X、いやもっと言ったら伝説のロンドン SS時代からの友人トニー・ジェイムスとカーボン/シリコンなるバンドを始めたと語っていた。俺は勿論嬉しかったが不安でもあった。過大な期待はもうしない方が良いのではないかとの想いもあった。だってリバティーンズのプロデュース以外は主だった音楽活動はしていなかったし、半分リタイアしていたようなものではないか、今更オジサン・バンドでR&Rがやれるのだろうか?ダンス・ミュージックへの天才的なアプローチは果たして健在なのか?熱烈なファンだからこその心配ってヤツだ。しかもそのTV番組で流れた彼等のライブ映像、曲は触りだけでよく判らないし外見的な衰えも気になって何やら情けないモノに写った。俺としても気持ちは複雑だったんだ。それでもミックが自分なりの音楽をまたクリエイトする気になったという事実だけで、その質は置いといても本当は充分なんだけれどね。(SIDE43を読めば判ってくれるだろ笑)
それまで音源はネット配信のみという形だったが、とうとうCDフォーマットでその全貌を現してくれた。クラッシュの「CAPITOL RADIO TWO」を思わせるアコースティック・ギターのイントロから一転アップ・テンポのポップなギター・リフに導かれ「THE NEWS」がスタートした瞬間からもうミック・ワールド全開、ミックのセンスは少しの鈍りもない事が判った。クラッシュのポップ・サイドとB.A.Dのエレクトロ・ダンス・ミュージックをそのまま継承したミックならではのR&Rだ。心なしか歌声にも気合いが入っている。ゆったりした2曲目の「THE MAGIC SUITCASE」で聴かれるGソロなんてまさにミック、またまた俺はクーッ!となってしまった訳である。更に驚くべきは3曲目の「THE WHOLE TRUTH」、なんとクラッシュ「1977」のリフを再演、キンクスの「ALL DAY AND ALL OF THE NIGHT」と合体した様な曲に仕上げている。歌にも力が入ってるし「NOTHING BUT THE TRUTH…」と連呼される歌詞なんかはクラッシュで最も過激な歌の一つと言われる「GUNS ON THE ROOF」を思い出してしまった。そうだ、これはミックがジョーに捧げた曲ではないか、俺にはそう思えてならない。
ジョーの死の直前、ステージに飛び入りしての共演、そして突然のジョーの死、この運命的な出来事がミックに与えたもの、それは判らない。しかしミックは再び自らの音楽を鳴らし、シーンに帰って来た。そうこれはR&Rである、素晴らしいR&Rアルバム。2007年も終わろうとするこの時期に届けられた最高のクリスマス・プレゼントとなった。
(2007.12.21)
[SIDE 48] SANDINISTA! / THE CLASH(1980)

この3枚組超大作を前にして何と言ったら良いのだろうか、言葉では言い表せない程大好きなアルバム。無人島には勿論持って行く、1枚だけという事ならやはり俺はこのアルバムを選ぶだろう。死ぬ時は棺桶に一緒に持って行くぞってなもんだ。何故なら『SANDINISTA!』にはR&Rの全てがあるから。確信と迷い、喜びと悲しみ、力強さと悩める魂が入り混じった「歌」がそこにある。そして同時にこれはクラッシュが辿り着いた一つの到達点なのである。
カムデン・タウンのおんぼろリハーサル場で生まれたラフなクラッシュ型パンク・ロックはおよそ3年余りの月日を経てここまで進化/成長を遂げた、それはちょっとした驚きでもあった。音楽的に確かなバックグラウンドを持ったバンドだという事はデビュー当時から判っていたが、これほどの柔軟さと器用さを持っていようとは…共に同じ時代を生きたリアルタイム・ファンに与えた衝撃とその影響は果てしない程大きかったと、今振り返って思う、本当に。
N.Yで流行しつつあったヒップホップから始まりモータウンR&B、レゲエ/ダブは勿論、カリプソにロカビリー、ジャズからゴスペル等、今興味のあるスタイルは全てやってしまえ!とばかりに放り込まれた曲たち。その向こうには、最後のオリジナル・パンク・ヒーローとして昔のイメージに固執するファンの非難を浴びながらも、喜々としてサウンドの旅を楽しむメンバーの顔が浮かんで来るようだ。落ち着いたサウンドだが沈み込んだ印象は決してない。そしてサウンドは変化してもそこには変わらぬジョーの歌声があった。これは個人的にとても大事な事だ。俺はこのアルバムで聴かれるジョーの歌声が1番好きなのだ。勿論初期の荒々しい歌も最高だけど。一皮剥けたこの落ち着きは『LONDON CALLING』の成功が関係してるのだろう、「I DON'T WANNA SHOUT…」と歌われた『LONDON〜』にはまだどこか吹っ切れないジョーの姿があったように思う。周囲からの期待を受けつつも吠えるストラマーのイメージから抜け出そうとあがき苛立ちを感じていた、そんな時期ではなかったか。ヤケクソなんて言ったら失礼だが、あー、悩みながら新しい自分を求め唄ってんだろうなぁ的なものを感じたのだ。完成したアルバムはコアなパンクスの非難を浴びながらも世界的に大成功し、クラッシュは証明した、その方法論が間違っていなかった事を。その自信を受け、吹っ切れたのがこのサウンドでありジョーの歌声なのだと思う。ここで聴かれるジョーの歌は確信に満ちていてとても優しい。同時に前進あるのみと突き進むバンドの強い意志を反映した素晴らしいものである。
「今度はN.Y辺りのサウンドを取り入れてファンキーにやってるんだ、みんなガッカリするぜ」発売前のインタビューでジョーはそう語っていた。俺の期待は高まるばかりだったけど、実際に印象的でクオリティの高い楽曲揃いであった。何年経っても飽きる事がない。
「THE MAGNIFICENT SEVEN」から「HITSVILLE U.K.」と続くオープニングは彼等がアメリカ・ツアーから得た財産の大きさを感じさせるし、戦いには勝てそうもないがとにかく進むのだと唄う「REBEL WALTZ」を始め、「ONE MORE TIME」、「CORNER SOUL」、「LET'S GO CRAZY」、「BROADWAY」、「THE CALL UP」、「WASHINGTON BULLETS」、「CARLIE DON'T SURF」、「THE STREET PARADE」、…好きな曲をあげたらきりがない、こうした曲に混ざって鳴らされるクラッシュ型R&R「SOMEBODY GOT MURDERED」や「POLICE ON MY BACK」、「UP IN HEAVEN」がまたカッコ良く響いて来る。
クラッシュのアルバムは全て日本盤の発売を待って買っていた(当時は1〜2ケ月遅れるのが普通)、歌詞が読みたかったからだがいつも待ち切れなくて入荷の噂を聞いたらすぐ輸入盤店に駆け付けジャケをチェックした。新宿レコードで目の当たりにした『SANDINISTA!』のジャケには感動したものだ。モノクロ写真に赤と黒の世界、ミックがヘルメット被ってんじゃん!と友人と盛り上がったよ。時は1980年、俺は前年結成したTHE CONTROL改めTHE EYESというバンドをやっていた。プロになるとか言う前にまず曲を作ってステージに立つのが目標だった、そこでクラッシュのように熱くプレイする、やりたいのはただそれだけだった。3コードとちょっとだけ知ってたマイナーコードを精一杯屈指してパンクロックと拙いレゲエなんかを作っていた。このバンドは俺の出発点として今も忘れる事はない。そしてそんな時代に聴き狂ったこの『SANDINISTA!』はいつの時代にも俺の目標であり、「パンクとは音楽スタイルを意味しない」とのアティテュードは目指す荒野に高く掲げられた一本の旗であり続けている。
PS.写真は1980年秋〜冬、THE EYES時代。あの頃は普段から頻繁にメンバーとツルんでは時間を忘れてロックの話しばかりしていた。才能はともかく燃え上がる想いと時間だけはタップリあったんだな。当時のなかなか面白い話もあるけど、それはまた折りを見て書きたいと思う。
(2007.12.09)
[SIDE 47] LED ZEPPELIN / LED ZEPPELIN(1969)

間が空いてしまったけどもう1枚ツェッペリンのアルバムを紹介させて欲しい。寄宿学校時代のジョー・ストラマー、いやジョン・メラー少年も当時愛聴したというこのファースト・アルバムだ。これが1番好きかな。
その画期的で新鮮なサウンドはリアルタイムで体験したならばさぞかしショッキングなものだったのではないだろうか、そう思う。クリーム解散に伴い、ブルース・ロックも下火となり誰もがロックの新しい方法論を模索し、来たるべき70年代に想いを馳せていた時代である。そんな時にツェッペリンはブルースを解体したギター・リフと激しく、ヘヴィなリズムでハード・ロックの基本フォーマットとなるサウンドを高らかに鳴らしたのだから。
俺も後追いながらこのアルバムに辿り着いて、やっと何故彼らがハード・ロックの王者と呼ばれているのか正しく理解出来たのであった。この1枚目と次の2枚目に於けるゴリ押しのパワー、構築美とそのサウンド構成、煌めく叙情性こそブリティッシュ・ハード・ロックの全てだ。このアルバムに於いてはトレード・マークのマーシャル&レス・ポールは使用されず、以外にもスプロという小型アンプにテレキャスターを繋いで録音されたというジミー・ペイジの独創的なギター、そしてバーミンガム出身の無名の若者ロバート・プラントの超人的なヴォーカルを向こうにまわし、耳を引くのはドラマーの驚異的なプレイである。1曲目の「GOOD TIMES BAD TIMES」のイントロの鳥肌モノのドラム・フィルや「DAZED AND CONFUSED」での怒涛のロール等、ジョン・ボーナムのドラムは最高だ。1980年の彼の死でバンドの歴史は幕を閉じた訳だが、やはりボンゾのドラミングこそがツェッペリンだったのだと思わずにはいられない。彼以外のメンバーなど考えられないと迷わず解散を選んだメンバーもエライ、70年代を共に築き上げて来たその絆は堅かったという事だろう。
ハナシは飛んでしまったが、この度ボンゾの息子ジェイソン・ボーナムをドラマーに迎え再結成を果たす、カヴァーデイル・ペイジもペイジ・プラントも勿論見に行ったが、レッド・ツェッペリンをいよいよ見られるのだろうか、ニュー・アルバムも期待出来そうだしね。
彼らは結成当初ハード・ロックで行くか、バッファロー・スプリングフィールドの様なアコースティック路線で行くか迷っていたというエピソードがある。そのためかハード・ロックだけどアコースティック・ギターをフィーチャーした楽曲が驚くほど多い。そこがまた彼らの個性でもあった。バッファロー・スプリングフィールドについては俺も後に大ファンになって(特にセカンドは名盤!)今でも愛聴しているが、やはりアコースティック・オンリーのバンドではなく、ツェッペリンと同じく様々な要素を取り入れた素晴らしいバンドだった。音作りのセンスの良さ等、影響の大きさも伺えるものだ。
覚えているけど 中3の時に西新宿の輸入盤屋でジミー・ペイジのポスターを買った。あの有名なダブル・ネック・SGを頭の辺りまで高く掲げたポーズのそのポスター、俺のお気に入りでずっと実家の部屋に貼っていた。その後家を出て1人暮らしをするようになってからも、引越しをするたびにいつもアパートの部屋の何処かに(トイレとかさ)クラッシュやストーンズ等と共に飾られていたっけ。いよいよボロボロになって何年か前の引越しの時に捨ててしまったけど、ジミー・ペイジは常に俺のギター・ヒーローの1人だったのだよ。
PS.写真は1978年夏頃、自宅にて。手作りのステンシルでジミー・ペイジのシンボル・マークをスプレー・ペイントした練習用ギター・アンプはまだ実家にある筈。高2かぁ…そんなに笑うなよっ、俺にもこんな少年時代があったんだからさ。
(2007.11.15)
[SIDE 46] PRESENCE / LED ZEPPELIN(1976)

幻想的なアルペジオがゆっくりとフェイド・インしてくる、その後の期待を煽り起てるかのように…と、一転烈しいビートに乗ったジミー・ペイジのカッチョイイギター・リフが炸裂し、ボンゾのドラムが怒涛の様に>押し寄せる。ジョン・ポール・ジョーンズのベースは空ピックの音を混ぜつつ重く響く。ヴォーカリストは静かな歌い出しだ、ロバートプラントがこの壮大なるドラマを語りかけて来るように…。これが王者の貫禄か、疾走しながらもズッシリとした手応えのサウンドと迫力。そう、この『PRESENCE』のオープニング「ACHILLES LAST STAND」との出会いによって俺のツェッペリンに対する評価は絶対的なものとなった(ちょっと偉そうだが)。しかし何なんだこのゴリ押しのパワーは!立体感のある新鮮な音は!スタジオ・ライヴのようで実は凝った音色のギターは!と俺は感動してしまった。しかもこの曲は10分22秒もあるにも係わらず、一切ダレる事なく緊張感を伴ったまま一気に駆け抜けてしまう。普通なら途中でスロー・テンポになるとか、プログレ的な展開を見せるのが定石だろう。それなのに繰り返しリフを積み上げながらパワーで押しまくって最後またアルペジオでフェイド・アウトして行く。凄い!お見事!俺には未だに10分もある曲とは到底思えない。途中の素晴らしいギター・ソロを含めジミー・ペイジの鬼気迫るプレイが堪能できる。
よくジミー・ペイジはギターが下手だとか言われる。確かにクラプトンやベックやリッチーに較べたらそうかも知れない、フレーズが余りのピッキングの細かさ故つんのめったり、指が縺れたりする。(後期になる程プレイは危なっかしくなる…)おざなりな手癖フレーズも多>いけれど、レコーディングに於ける神経質とも言える音色への気配りとオーヴァー・ダビングの手法は見事なものである。ライヴに於いては強引なまでに武骨なプレイで押しまくり、ヴァイオリンの弓やテルミンを屈指しつつ、華麗なアクションでファンを魅了する、そしてレス・ポールを膝の辺りまで下げたスタイルも含めフォロワーをたくさん生み出したスーパー・ギタリストなのである。ジミーペイジは上手いんじゃなくてカッコイイのだ、だから俺は好きなのだ、そういう事。
このアルバムのハイライトは「ACHILLES〜」ともう1曲、B−1の「NOBODY'S FAULT BUT MINE」。ブレイクとキメを巧みに使った、これぞゼップ流ハード・ロックの極めつけという曲、いかにもライヴ映えしそうだ。このアルバムはこの2曲のためにあると言っても過言ではないと思う。
ツェッペリンはブルースからスタートし、中近東のアラブや北アフリカのモロッコ等のエキゾチックなメロディとサウンドを取り入れながら独自のロックを生み出した、出会いとなった前作『PHYSICAL GRAFFITI』はその名のとおり落書きのように雑多な曲が並び、多様な音楽性を持ったバンドだという事を教えてくれた訳だが、その1年後の『PRESENCE』に於いて徹頭徹尾ハードな音を聴かせてくれ、結果的に俺は彼らの大ファンになってしまった。更にこの年には映画『THE SONG REMAINS THE SAME』のサウンド・トラックとして同名のライヴ・アルバムまでリリースされてダメ押しされたのだった。その映画は翌年夏公開されたが渋谷公園通りにあった渋谷ジョイ・シネマの前はファンが押し駆けて物凄い行列が出来、その中に混じってワクワクしながら映画を観に行ったのを良く覚えている。まるでコンサートを観に来たかのような凄い人数だったな。俺は来日公演を切に願っていたが結果それは叶わぬ夢に終わったのだった。
(2007.09.25)