Rock'n' Roll Records
◆[SIDE 106] TRB TWO / TOM ROBINSON BAND (1979)
映画『白い暴動』を興味深く観た。

バンドを始めた頃、まだ10代だったあの頃の思い出が色々と甦って来る作品であった。
確か当時、ロック・アゲンスト・レイシズム(RAR)という団体の活動については、大まかに知ってはいた。

極右組織のナショナル・フロントが掲げる移民排他主義と白人至上主義にロックで対抗するべく結成されたのがRARである、、と。
パンクに夢中だったし、社会の矛盾にアンチの声を上げる事、それこそが真のパンク・ロッカーの在り方だ、なんてしたり顔で友人達と語り合ったりしていた。

そしてRARに賛同するザ・クラッシュはもとより、新しく知ったマトゥンビやスティール・パルスといったブリティッシュ・レゲエのバンド達に胸が踊った。

自分を含め勿論ザ・クラッシュ・ファンなら映画『ルード・ボーイ』を観た事だろう。
ハイライトは1978年4月30日にRARの呼びかけで集まった10万人のデモ行進と、終着地のヴィクトリア・パークでのフェスの模様だ。
そこに登場するザ・クラッシュの勇姿と
「LONDON'S BURNING」やジミー・パーシーを加えた「WHITE RIOT」の圧巻のライヴ・シーンに震えるほど興奮したものだ。
今観ても鳥肌モノだが、今回のこの映画のクライマックスもやはりそこであった。

この映画で嬉しかったのは、音楽雑誌の片隅に小さく書かれていたに過ぎなかった事柄までが詳細に描かれ、RARの活動の全貌を知ることが出来た事だ。
郵便爆弾とか、そこにはまさに命懸けの闘いがあった事に改めてショックを受けた。

『TEMPORARY HOARDING』なる機関紙の存在も初めて知った事柄だったが、これがデザインを含めて実に魅力的に見えた。是非手に取って眺めて見たかったものである。

そしてザ・クラッシュと並び、RARの活動に欠かせないのがトム・ロビンソン・バンド。

トム・ロビンソン・バンドの登場はセンセーショナルなものだった。それまでその存在を全く知らなかったから。

そこに突如ラジオから流れた「2-4-6-8 MOTORWAY」にぶっ飛んだ。

発売3週目にして全英チャートのトップに立った(5位説もあるが)というその曲、
シングル盤を即買ってずっと聴いていた。
性急な縦ノリ中心のパンク・ロック勢の中にあって大きくスイングする16ビートの乗りが心地良く、キャッチーなリフとシンガロングなサビが最高だった。

リーダーのトム・ロビンソンはゲイだという。
ロック界にゲイやバイセクシャルは珍しくないが白昼堂々と宣言して、しかも歌にして世の中に問うなんて事をしたのはトム・ロビンソンが初めてだろう。

フレディやボウイだってそんな事はしていない時代だ。

トムは迫害を受ける全てのマイノリティーの自由のためにバンドを結成したと力強く言っていたが、その闘う姿勢はとてもカッコ良かった。

アルバムを待ち切れない中、追い討ちをかけるが如く発売されたのが4曲入りのライヴEP『RISING FREE』だ。
こいつがまた最高で、彼らの名前を一役有名にしたゲイ讃歌の「GLAD TO BE GAY」をここでようやく聴く事が出来た。それと同時に、オーディエンスと一体となった熱狂的なライヴ・ステージの模様が手に取るように感じられ、再びノックアウトされてしまった。

シンプルでストレートな曲調、そしてオルガンの響きが心地良い味付けになっているのだが、なんと言ってもギターのダニー・カストウのハード・ロッキンなプレイが最高である。

このバンド、各メンバーにしっかりした音楽的なバックボーンがあるのは明らかで、R&RだけでなくR&Bやジャズやラグタイムからの影響も感じられる、言ってみれば極めてオーソドックスなバンドという見方も出来るだろう。
だがしかし、その中にあってダニーの突き刺さるようなギターとトムの怒りに満ちた野太いヴォーカルには切迫した緊張感があり、やはり彼らがパンク・バンドだと実感するのだ。

トムが最初に組んだバンド、カフェ・ソサエティ時代にキンクスのレイ・デイヴィスと知り合って様々なアドバイスを受けたという話を聞いた。
なるほど、トムのポップなソング・ライティングはレイからの影響が大きいのだな、、
そういえば「GLAD TO BE GAY」の哀愁のメロディは明らかにキンクスの「SUNNY AFTERNOON」の影響下にあるな、と思う。

年が明けて1978年、待ちに待ったファースト・アルバムが発売になった。プロデュースはクリス・トーマス、ミックスはビル・プライス、という最強の制作チームだ。
アルバム・タイトル・チューンの「POWER IN THE DARKNESS」をはじめ、強力な楽曲がズラリと並ぶ全曲必聴な素晴らしい作品に仕上がった。
日本盤には1曲目に「2-4-6-8 MOTORWAY」が収録されて更に最強のデビュー盤となった事を追記しておきたい。
バンドの主張を反映するかのように、ジャケット裏にはRARのロゴマークとステイトメントが印刷され、付録として拳を握る有名なバンドのロゴマークのスプレー用ステンシル・シートまで付いていた。

そして1979年のセカンド・アルバム、『TRB TWO』がこれ。
プロデューサーは今度はなんとトッド・ラングレンだ。
サウンドの魔術師と言われた男、俺の大好きなGFRのアルバムをプロデュースし、「WE'RE AN AMERICAN BAND」を全米チャート1位に押し上げた人である。

最強のファースト・アルバムの後だけに少々分が悪い印象が当時はあったが、改めて聴き返せばどうしてどうして、実に良い作品だと思う。
先ず1曲目の「ALL RIGHT ALL NIGHT」から全体の音色が明るくカラフルになった印象を受ける。
ファーストはと言うと、全体的にブリティッシュならではのくすんだダークなトーンで統一されていて、一塊になったモノラル盤のようなミックスが実にパワフルだった。
それに対してセカンドは各楽器が鮮明に鳴り響き、セパレーションもしっかりした音の良い聴きやすいアルバムになったと言える。
これもトッド・マジックだろう。

曲によっては女性コーラス隊が入ったり、ピアノをフィーチャーしたジャズ的なナンバーがあったりと、益々バンドのポップな側面が強調されたようだ。
特にA面の充実度が素晴らしい。

このアルバムに纏わる思い出話をひとつ、、
あれは世田谷の国道246号近くに住んでいた頃の事。
近所に住むイワタがいつものように遊びに来た、その手にレコードを抱えて。
「安かったから買ってきたよ!」と言う。
駅からの帰り道にある中古CD店にある時アナログ盤が大量に入荷し、かなり安価で売っていたのだ。

俺にプレゼントだと言いながら「1枚目に比べて評価が低いけど、改めて聴くとこれもイイんだヨ、聴いてみない?」と渡されたのがこの『TRB TWO』だった。
俺は「バカ言ってんじゃないスよ、岩田さん、、」とばかりにレコード棚から自分の『TRB TWO』を持って来てイワタに見せ、ゲラゲラふたりで笑ったものだ。

そのレコードは今も家のレコード棚に並んでいる。

という事でトム・ロビンソン・バンド、サイコー!

(2020.05.08)
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